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もうそこにいるトランスジェンダー女子大生 [多様なセクシュアリティ]

「お久しぶりです。佐倉智美 著・小説『1999年の子どもたち登場人物の栗林理素奈です」

「どもども、同じく『1999年の子どもたち』外伝パート登場人物の石橋海素浦で~すノ」

「えぇーっと…、同じく『1999年の子どもたち』外伝パートの登場人物、風屋光です(ペコリ)」

「ミズホもヒカリちゃんも、この形式でのブログ記事に出演させられるのは初めてね。私たち本編登場組は作中設定の本編舞台年代な西暦で言う2015年には、さんざん作者に扱き使われたんだけど……」




「アレは大変だったねー、リソナちゃんたち; ……本編登場組のとある人物とは私たちも各々小学5年生だった西暦の2010年に外伝の1と2で絡んでんだけど」

「それよりもそれよりも、ほらほら、すごいよ! いよいよとうとう西暦2018年になったんだよ!! 外伝3の作中設定でこの春に私たち3人が出会ったとされてるその時に、ついについにリアルになったんだよっノ(第7巻参照)

「はいはいミズホ、落ち着いて(^^;) たしかに私たちがこの六麓女子大学に入学して、新入生ガイダンスで同じ班になったきっかけで3人が友だちになって、それからはや数か月。かれこれ前期授業も終盤だもんねぇ」

「……という設定のもとで実際に外伝3の物語が進行するのは来年の12月とはいえ、ね」

「で、リソナ、なんでアタシたち呼ばれてんの? 先月の大阪府北部地震から今月あたまの豪雨でいっぱい臨時休講になったせいで補講がいろいろ詰まってて忙しいのに……」

「………もしかして、アレの話題なの??」

「そうなの。ミサキちゃんのお父さん、つまりほぼ作者から、先日に報道されたお茶の水女子大学や奈良女子大学がトランスジェンダー学生の入学を受け入れる方針を打ち出した件について、実際に《女子大》で学ぶ現役女子大生の立場からトークしてくれというお達しなわけよ」



「……………」

「えっ、え!? でもアレ、ウチの大学にはまだカンケイないでしょ? 六麓女子でもその方向にしていくみたいな話が近々であるとは聞いてないし、それにだいたいそんな人が本当に入学してきたりって、そうそうたくさんあるケースなの??」

「………………」

「ちょ、ミズホってば、いくら作中のこの時点では私たちまだ知らないことになってるとはいえ、この文脈でソレはボケすぎでしょうw ほらヒカリちゃんも、そんなにカタくならないで…」

「あ、なんだ、ネタバレでイイのかノ」

「……ほ、本当に大丈夫なの??」

「まかせといてよ」

「そうそう、友だちでしょ?」

「うん、それで、ミサキちゃんのお父さん……ほぼ作者からは何か所見は??」

「えっとね、簡潔にまとめたコメントなら、いちおう預かってるよ」

「なるほど、コレが佐倉智美先生の公式見解かぁ」


++++++++++++++++++++


現状の性別役割規範にとらわれずにひとりひとりが性別で分けられる前に「自分」でいられる環境は、特に女子にとって有効な社会環境がいまだある中で「女子校」「女子大」には当分は意義が認められるべき

そういう中で「女子」とは誰かについては、近年の性の多様性への理解の進展とのすり合わせは必要

その意味では性自認などの概念を視野にトランスジェンダー女性の入学を認めるのは妥当な落としどころ

ただし「性自認とは何か?」を掘り下げだすと、けっこう奥が深すぎて大変。
実際の入学資格などは、多少の割り切りもやむを得ない

現実としては、「女性集団」の中で相互に「同性として」ナチュラルに人間関係をやりとりできるなら、身体や戸籍上の情報にかかわらず、その人はもう「女性」でよいのではないか

性的な興味などから「一般男性」が偽って入学してくるのでは? といった危惧はおそらくそういうことは永遠のゼロなので杞憂。
ぶっちゃけお茶の水女子大学や奈良女子大学などだと、いわゆる偏差値の高さが良くも悪くもゲートキーパーとして機能しそう

各大学の学内では報道が出る以前からじゅうぶんな準備が続けられ、構成員への説明・周知も進んでいるのではないか
(むろん、その際に出た不安の声には真摯に、必要があれば個別のケアも含めて、丁寧な対応は必要)。
そこを部外者が勝手に憶測や自分の主観をもとにあれこれ主張するのは不適切なポジショントークに陥る危険

特に大学院では「この先生に指導してほしい」と大学を選ぶことはままあるが、それこそ性の多様性をテーマにしたいトランスジェンダーが適切な進学先を探した結果、ジェンダーやセクシュアリティに詳しそうな先生が女子大に在籍しているということはありがちなので、今般の件はひとつ福音

総じて、多様な性のありようを前提とした社会への、状況の進展の一端を示す事案であり、喜ばしいことだろう


++++++++++++++++++++


「おぉ~、なんかナットク」

「たしかに大枠としては特に追加で言うこともないくらいだわね~」

「あと、ご自身が西暦2003年に大阪大学の大学院に入学された際の、事前の志望校探しのことに触れて、『俺もやっぱり《女子大》がヨカッタかなぁ…せっかくなので; 時代が十数年早かったワ』と苦笑してはりましたネ。やっぱりイロイロ面倒くさいハードルが多かったらしいです。あとその当時の詳細は『明るいトランスジェンダー生活』参照だって」

「なるほど、そっかー、でもそう考えると私がこうしていられるのも、佐倉先生とかが道を切り開いてくださったおかげなんだなぁ……」

「……で、それはそうとヒカリちゃんはどうやって六麓女子大学に入学したの?」

「そだよね、ウチの大学は公にはソレが可能とはアナウンスしてないわけだしぃ」
 ※六麓女子大学はあくまでも架空の大学です

「あ゛…、まぁソコは……基本的に個別対応ってことになるかな。高校の進路の先生が親身になってくれて、それで大学とも熱心に折衝してくれたってのもあるし」

「そっか~、なかなかやりますナ、ヒカリちゃん。とはいえ、リアル2018年がこういう情勢になるというのを展望して、こういうヒカリちゃんの設定を入れた作者、やはり只者ではないですゾ」

「どっちかってったら作者の思ってたよりも現実は進展してるみたい。……ってリアル2015年の時点でも話してたんだけどね;」

「あと、トイレ・更衣室・健康診断・体育の授業なんかも、必要に応じて配慮してもらえるように話はついてる」

「ふむふむ。それで作中の現時点ではアタシたちも知り得ないでいると」

「まぁとっととカミングアウトしちゃえばラクなところもあるんだろうけど、現状まだ偏見のある子もそれなりにいるだろうから、功罪あい半ばかなぁ」

「なのでリソナちゃんとミズホちゃんには言おうとずっと悩みつつ、外伝作中のとおり来年の年末まで持ち越しに…」

「でもね~、たぶん否定的に反応する子もいるとはいえ、基本的にはOKな子は作者が考えてた以上にリアル2018年には増えてると思う。リアル満咲ちゃんの大学生活の様子を窺ってもそういう感じだし」

「うんうん、アタシはリソナと違って今までそういう人とやりとりした経験なかったけど、でもヒカリちゃんはヒカリちゃんだと思う。だからゼンゼン大丈夫!」

「……あ、ありがとう」

「そーね、ということだから来年12月、楽しみにしてるよ」

「それでは」

「皆様」

「よき女子大生ライフをノ」


  


◇◇


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バレンタインデーは友情の迷宮2017 [多様なセクシュアリティ]

本日はバレンタインデー
これについては過去にも何回か言及してきました。






ちなみにこの2018年においても「Googleのバレンタインデーには性別がない」仕様は継続しているようです。
さすが Google、よくわかっていますネ。


で、我が娘・佐倉満咲さんについては、前記事のとおり受験でそれどころではなく、しかも高校3年生はこの時期には登校しなくてもよいということもあって、ある意味久しぶりにバレンタインデーにまつわるあれやこれやとは全く無縁の2月14日を過ごしてはったりするのです。

ただ、昨年をふり返ると、ツイッターにはこのようなことが記されています
(というわけで直接的にはネタは去年のものなので、タイトルの「2017」は間違いではないのですノ)


高校入学後の人間関係(の詳細はプライバシーに関わることなので公開できない内容が多いというか、そもそも本人からワタシに語られる時点でかなりフィルターにかけられている;)は、《「男女間の友情は成り立つか?」2015》でも書いたとおり、いわゆる男女を問わずのびのびと交友関係を広げることを基本としてきたようなのですが、その一方でどうしても「異性」であるがゆえに男の子との関係性が既存の恋愛コードに絡め取られて解釈されてしまうがゆえの面倒さがある……というのは、2年生になってからも継続していたようです。

しかも聞けば例の「小説版での青木太陽クン相当キャラ」である鮎原光太郎クンとはクラス替えなどもあって若干の距離を取らざるを得なくなったのに代わり、「2年生編の新キャラ」も登場していた模様。
推察するに、いわば「小説版外伝の5年生のときのクラスメート益平健人クン相当キャラ」っぽい雰囲気ですね。

ともあれ、人間関係が「男女」を基準に分断されてしまう現行ルールはやっぱりめんどくさい。
そんな中で、我が娘・佐倉満咲さんがこの先どのような実践をおこなっていくのか、引き続き見守りたいところですし、大いに興味深いところでもあります。


そして、そうは言っても近年は、この「友チョコ」なる概念の台頭によって、バレンタインデーのありようが総体的な変化を見せてきているのも注目に値するところでしょう。

今後ますます、男女間での恋の告白という因習を超克して、誰もが自由に誰かとの親密性を確認しあう企図をもってチョコレート等々を交換するイベントとして再構築されていけば、なかなかに素晴らしいことです。

人間関係が「男かそれとも女か・異性か同性か」で切り分けられる窮屈な世界観を変えるきっかけとして、むしろバレンタインデーが活かせるのだとしたら、それは真に「愛」の名に相応しいイベントになりえるのではないでしょうか。


………余談ながら、いわゆる「小説版・佐倉満咲さんの高校生活」ともされる『1999年の子どもたちですが、そのバレンタインデー編あたりを読み直すと、執筆した当時はまだ「友チョコ」概念は一般に把握されていなかったようですね;
2000年代初頭に考えていたよりも、現実の2015年度のほうがいろいろ進んでいたと評価できる部分があるということなので、けっこうスゴイことではないでしょうか。

この際なので小説『1999年の子どもたち』のバレンタインデー付近、以下に抄録しておきます。
(本記事の趣旨に見合うところだけ抜き出すと、結果的にすこぶる平和な雰囲気ですが、実際にはクリティカルな事件が起こるバレンタインデー編です。全文はゼヒ kindle版にてノ バレンタインデー編は第5巻。あと外伝の満咲さん小5編は第6巻です)


  


「ねぇミサキ、バレンタインデーって、ボク、チョコレートをあげないといけないほうだったんだっけ??」
むろん日本におけるバレンタインデーは、長らく「女性から男性へ、愛の告白の意味を込めてチョコレートを贈る日」とされてきた。近年は贈る物品の多様化や、いわゆる義理チョコの習慣の一般化、また女性自身が高級チョコなどで少し贅沢を楽しむような事例も増えるなど、その様相は変容しているものの、「女性から男性へ」という基本線は、なかなか崩れない。そんな中では、「人間には男と女がおり、男は女に、女は男に恋愛感情を抱くものである」という前提に当てはまらない者は、自分がはたして贈ってもらえる立場なのか、また自分が贈るとしたらいったい誰に対して贈るものなのかが、にわかにはわからなくなって、チョコの特設売場前を通るたびに頭を抱えることになってしまう。歩のように女性としてバレンタインデーを迎えるのが生まれてはじめてというケースでは、なおさらであろう。
驚きと戸惑いがあらためて入り交じったような歩の口調に、満咲は自戒を込めて苦笑すると、あっさりと答えた。
「まぁ、あげたい相手にはあげて、もらえるところからはもらっとけば?」
実際、去年などの満咲は、日ごろ仲よくしている友人たちに男女を問わず義理チョコを贈ったものである。
「そ、それでいいのかなぁ」
「いいって、いいって。……ボクからも軽くあげるヨ」
「う、うん……」
「あとまぁ、祥一や太陽のヤツとかは、いちおう世話になってるし、小っちゃいのでいいから用意しとくのが社交儀礼ってもんかな」
満咲の言い方はミもフタもないなと思いつつも、その内容の妥当性に歩は納得したのだった。
[中略]
翌週になると、教室の雰囲気も、いよいよバレンタインデーまでのカウントダウン体制になる。本命告白を企てている者もひとりならずいるのか、女子の間にはいつになくピリピリした気配も漂わぬではない。一方、男子の側からも、どこかそわそわした様子が伝わってきた。贈る側と贈られる側として、このようにクラスが“女子”か“男子”かで二分されてしまう状況を、満咲は見るともなく眺めながら、どこか釈然としない思いがした。
(なんだかなぁ……)
[中略]
翌日は12日の金曜日だったが、14日以前で平日はこの日までなため、学校は事実上バレンタインデーだった。
「佐~倉さん。コレあげるっ」
“満咲ファン”らしいクラスメートから、いくつかチョコレートをもらった満咲があらためて見渡すと、1年2組の女子は、けっこう屈託なく、女子どうしでのチョコの交換をおこなっていた。
「黒沢さん、文化祭でお世話になったお礼よ」
「えっ、いいの? ありがと……」
歩も、いっしょに大道具係をした女の子たちからチョコの包みを受け取って、まんざらでもない様子である。
「最近、体調よくないの? 気をつけてね」
「う、うん…………」
ただ、事情を詳しく知らないクラスメートの善意には、やや戸惑いぎみにうなずくしかない歩だった。
真理子はせっせと義理チョコを配っていたが、太陽へ渡す分はその中には含まれていないのだろう。その太陽や、祥一はというと、それなりに義理チョコが集まって、これまたご満悦の様子であった。
[中略]
こうして“実質バレンタインデー”の一日は過ぎた。
帰宅した満咲は、もらったチョコを整理するのに、ひとしきり時間を費やされることになった。理素奈や詩諳からのものも含めて、それらはけっこうな数にのぼっていた。
いくつかのラッピングを解いたとき、満咲はふいに思い出した。
(はじめてバレンタインにチョコをもらったのは、保育園の、あれは年少のときだったっけ……)
それは年少組の日々も残り少なくなった2月の半ばだった。同じコアラぐみのユミちゃんが、おもむろにスモックのポケットから何かを取り出すと、「ミサキちゃん、これあげる」と言ったのだ。満咲がよくわからないままに受け取ると、それは銀紙に包まれた一片のお菓子らしいものであった。ユミちゃんが、なぜ今日ことさらにお菓子をくれるのかが、いまひとつ納得できないまま、とりあえず「ありがとう」と言うと、満咲は家に帰ってから、この件を両親に報告した。
「そうか、今日はバレンタインデーだったっけ……」
「ミサちゃん、今日はね、好きな人にチョコレートをあげる日なのよ」
「ユミちゃんが自分の『好きな人は誰かな~?』って考えたときに、いちばんがミサキだったんだね」
「ミサちゃんが、ユミちゃんの好きな人だったんだね。よかったねー」
両親からそのような説明を受けると、満咲はなんだかうれしく、心があたたかくなったような気がしたものだ。
(あのころは無邪気だったねー……)


◇◇


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20年後の未来が今 [多様なセクシュアリティ]

というわけで今年ももう9月も終わりです。

ちなみにこの2017年の9月というのは、ワタシが本格的に性別移行に取り組みはじめたときから、ちょうど20周年にあたるのですね。

まぁ、性別移行のどの時点からカウントするかで、いつが20周年になるかにも若干の幅はあります。
最初におそるおそるこっそり「女装外出」した夜なら1996年の6月なので、20周年は去年に済んでますし、逆にいちおうのフルタイム化が達成された時点であれば1999年の7月となり、こちらはまだもうちょい先となります。
なお、ワタシの場合は優先順位としてホルモンや性別適合手術といった身体改造は後回しだったので、これらはいまだ10年に満たないです。

さしあたり20年前の性別移行にまつわるあれこれは、こちらの著書「時系列案内で言えば、『性同一性障害はオモシロイ』の第1章が充てられています(いろいろ拙い初著で恥ずかしいので読まなくてイイです;)
で、その前後のエピソードが『明るいトランスジェンダー生活』と。

………ぃや~いろいろ大変だったなぁ、しみじみ。


  


ともあれ、あれから20年。
長いような短かったような……。

いずれにせよ、20年前に性別移行に着手したからこそ、現在では20年間の社会的に女性として過ごした事実が積み重なっています。
30歳を過ぎてからの性別移行でしたが、「今さら……」と思ってしまったら、永遠に始まりません。
石橋を叩いて渡る慎重さも必要なのですが、それと見る前に跳ぶ大胆さを、上手に折衷してプランニングをすることは、やっぱり大事でしょうね。


で、昨今の性的少数者をめぐる情勢に目を移せば、この20年でずいぶん変わったものです。

もちろん現況は、まだまだ不十分な側面は多々あるとか、いまだ過渡期で無知や偏見のうちにある人も少なくないだとか、しばしば残念な事件も報道されたりなど、ネガティブな実状も見過ごしてはなりません。

それでも方向性としては、あるべき理想のほうへ進んでいるのは体感できるところです。

インターネット上の各種情報の質も向上し、公的な信頼できるwebサイトまであります。
相談窓口が設けられている機関も少なくはなくなってきているでしょう。

世間一般での「LGBT」についての認識も、まがりなりに相当に進みました。
多様な性のありようを「普通のこと」として受け止めていこうという機運はそれなりに高まったと言えます。

パレードやクィア映画祭、「LGBT成人式」などのレインボープライドイベントは、全国各地で頻繁に行われ、大勢の性的少数者当人や理解者・支援者で賑わっています。
ほうぼうの大学に「LGBTサークル」が存在することも珍しくはありません。

性の多様性について知るための市民講座や、大学での授業、あるいは自治体職員・学校教職員向けの研修会なども、あちらこちらで日々おこなわれています(不肖ワタクシも講師を務めたりしています。研修を経た学校の先生が教室でホモネタのジョークを言わなくなるだけでも救われる子は多いのではないでしょうか)

他にもいろいろあるとは思いますが、これだけ見ても、周囲の好意的な理解本人の自己肯定に資する環境は、20年前との比較の限りでは、飛躍的に整ったと評価できます。

性別違和を持つ人がトランスジェンダーとして性別移行を決意する、あるいは何らかのセクシュアルマイノリティが自己肯定を経てカミングアウトしていくにあたってのハードルは、やはり大幅に下がったと見て間違いないでしょう。

いやはや、時代は進んだノ

20年前のあのころから見た、今はもう20年後の未来なんですね。


そういう意味では、私たちの世代としても、かつてのケモノ道を歩いた意味はあったのかなと、多少は報われる気分です。

今後は老境にさしかかっていくにともない「セクマイ高齢者」として引き続き若い人たちから見た少し先の年齢におけるロールモデルを開いていけるなら幸いだと思います。


◇◇

◎で、20年ということで、20年前に女性として初めてのちょっと遠出「プチ日帰り旅行」に出かけてみた行き先の大津・坂本を再訪してみたレポートは、お知らせブログのほうの記事でノ



◇◇


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