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トロピカル~ジュプリキュアに見る新時代の「人魚の身体感覚」描写 [メディア・家族・教育等とジェンダー]

変身少女ヒーローものジャンルのオピニオンリーダーとも言えるアニメ、プリキュアシリーズ各作については、例年このブログでも何かしら言及しているわけですが、毎年さまざまな観点から高く評価できるポイントが尽きません

(さしあたり昨年度の分から遡っていってもらえればよいかと思います

  → ヒーリングっどプリキュア、ケアの倫理の意義のその先に踏み込む
  https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2021-02-23_HeaPre-Care )。

◇◇
そんなプリキュアシリーズ、2021年度の作品『トロピカル~ジュ!プリキュア』も、先月末にて最終回を迎えました。

海のある南国風の町を舞台に、1年を通して明るく朗らかな雰囲気で描かれたエピソード群は、2020年に始まる新型コロナウイルス感染症にいまだ苛まれた現実の社会状況の中で、ときに閉塞感に息が詰まっている子どもたち、そしてともに視聴する大人たちにとっても、ある種の救いとなるフィクション作品として、まさに求められる作風だったと言えます。

南の島から町に出てきたばかりの主人公・夏海まなつが、海の底の王国「グランオーシャン」の次期女王に認められるための試練としての使命を帯びてやってきた人魚・ローラと出会ったことをきっかけにプリキュア(本作における「センター」であるプリキュア、キュアサマー)に変身することになり、入学した中学校で出会った仲間たちとともに、ときに敵のたくらみと対峙しながら、創設した部活「トロピカる部」の活動として【今いちばん大事なことをする】を実践していくことをつうじて、自分たち自身が日々を大切にし、しこうして世界をよりよくしていく様子は、視聴者にとっても、この時勢のもとにあっても毎日を楽しく生きていくための、ひとつの指針となる物語だったと言えましょう。

まさに、ありがとう、トロピカル~ジュプリキュア! ですね。

  → 東映アニメーション「トロピカル~ジュ!プリキュア」公式サイト
  https://www.toei-anim.co.jp/tv/tropical-rouge_precure/

  → 朝日放送「トロピカル~ジュ!プリキュア」公式サイト
  https://www.asahi.co.jp/precure/tropical/

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 ※トロピカル~ジュ!プリキュア画像は公式のサイトや放送画面から引用要件に留意した上で貼付しています
◇◇

さて、その『トロピカル~ジュ!プリキュア』、上述のとおり海の王国からやってきたローラという「人魚」のキャラクターが登場します。

人魚といえば、アンデルセンの童話にせよ、それを原作と位置づけたディズニーのアニメにせよ、超有名な存在であり、そうした結果として、もはや注釈の必要もない共有された一般概念となっていると言えます。

その意味ではプリキュアシリーズとして特にオリジナリティが高い設定ではありませんし、反面それゆえ『トロピカル~ジュ!プリキュア』中で描く際にも特に「人魚とは◯◯である」のような説明は不要だったという点では作中に登場させやすいというメリットはあったことでしょう
(これまでにもシリーズ他作にて、プリキュアに変身後のモードチェンジとして「人魚フォーム」のようなものが単発で登場したことはありました)。

そんな「人魚」を、ここであえて主要登場人物に据えた『トロピカル~ジュ!プリキュア』。
そのことによって従来の人魚描写の因習をいかに覆し、どのようなテーマに肉薄することができたのでしょうか。

本稿では、そこに焦点を絞って掘り下げてみたいと思います。


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この人魚キャラ・ローラは、自らの意思で次期女王を志しており、受動的、消極的とは真逆のメンタリティで行動しています。
プライドが高い 勝ち気な性格で、良くも悪くも自信家。

なので当初は夏海まなつらプリキュアになったメンバーたちも自分が女王になるために利用する駒にすぎないと考えて高飛車な態度に出ることさえあったりしました。

そんなローラが、主人公らとともに過ごすうちに、しだいに心境に変化が起こり、まなつたちをかけがえのない仲間と認識するようになって、そうして前述の部活「トロピカる部」の活動に、ともに勤しみながら友情を深めていくドラマトゥルギーは、だからこそ非常にエモーショナルでもありえたわけです。

とはいえ、そうやってトロピカる部や他の校友たちとも関係性を育んだ後にあっても、ローラの基本的なキャラは変わらず、上記のような性格は継続していました。

なので、ふとした機会にローラが人間界で著名な人魚姫譚を知った際には、恋する王子に近づきたいがために人間態を手に入れるのに大きな代償を必要としたことや、最後は泡になって天にのぼってしまうなど、その悲劇性に対して

「はぁっ? なんでそうなるのよ。あんたバカぁ!?」
※セリフは実際のものと多少異なりますw
 筆者は「エバンゲリオン」には詳しくありませんwww

……などと鋭くツッコミを入れるひとこまも。

◎ただ、それはソレとして、アンデルセンによる人魚姫の物語には、アンデルセン自身のバイセクシュアルとしての苦悩が投影されていたのではないかとされていますから、そこを勘案するなら、安易な形のハッピーエンドにならないことにも一定の意味があると解釈すべきではあります
(人魚の下半身は魚類なのに、お腹には哺乳類の証であるおヘソがあるのは、生殖の不可能性、セクシュアリティにまつわる苦悩の表現だとも解釈できますね)。

◎ちなみに、ローラの言によると『トロピカル~ジュ!プリキュア』の作中設定では、人魚には「母」や「父」といった親は存在せず、貝殻から生まれてくることになっていました。これは、異性愛主義的な各種の制約に対する超克可能性を担保する工夫だと言え、地味に画期的です。
ローラと主人公・夏海まなつの関係性は特に深く描かれ、強い結びつき、心の交流がありました。いわゆるシリーズではよくある「百合キュア」展開でもあるとも言えますし、ファンがそのあたりを好意的に受け止めたうえで「もう早く結婚しろw」などというツッコミをしたくなるようなシーンも少なくなかったです。
しかしそもそもの人魚の「生殖」をめぐる設定がそのようなものであるのなら、その場面においては「結婚」や「生殖」にかかわる男女二元制や異性愛主義の桎梏が、じつは本当にアッサリと無効化されていたことにもなるわけです。
◇◇

で、そういう人物像なローラですから、あるとき(第16~17話)敵の大ボスである「あとまわしの魔女」から、「自分に忠誠を誓うなら、オマエを人間にしてやってもよいゾ」的なことを言われるのですが、そんな魔女の姿勢を即座に否定。
誰かの力に頼らずとも、自分の願いは自分で叶えるんだと、大見得を切る一幕だってありました。

この、自分の道を自分で切り拓いていくという主体性。
それを裏打ちするものとしての自己肯定感。
プリキュアシリーズでは往々にして称揚されるメンタリティですが、それがまた、ここでのローラのスタンスにも反映された形です。

そして、その直後のシークエンスでは、ローラ自身の仲間を思う気持ちが大いなるパワーを呼び寄せ、以てローラも他の仲間と同様にプリキュアに覚醒、追加戦士にあたる新プリキュア・キュアラメールが爆誕します
(商業的には番組の中盤でのテコ入れに追加戦士が登場するのは、まぁ例年と同じ鉄板の展開でもあるわけですが)。

しかも、プリキュアへの変身能力を手に入れると同時に、日常的に人間態でいることも可能になりました。
あまつさえ人魚態と人間態は自在に任意に切り替え可能な設定だったので、まさに「人魚だけど、一切の代償を払うことなしに人間にもなれた!」事例となったわけです。

……否、厳密には「一切の代償」が皆無だったわけではないです。

人間態をゲットしたローラは、正式に主人公らと同じ中学校に生徒として通うことになります(第18話)。
となれば、部活は何にする? というのもひとつのテーマとして俎上にのぼります(最終的には元々非公式に関わっていたとおり、主人公らが作った「トロピカる部」に落ち着きはするのですが)。

水泳は得意だ。
人魚として水中を泳ぎまくっていた経験があるローラがそのように豪語するのを見て、必然的に水泳部からは勧誘の声もかかります。
「任せといて!」とばかりに意気揚々と体験入部するローラ。
自信満々でプールサイドの飛び込み台から水面へと華麗なフォームで飛び込みを見せます。

しかしその数瞬後。
「助けて~~~っ」
プールには手足をバタバタと動かしながら溺れるローラの姿が。

そう。
人間態になった代償、それは人魚態のときのように自由自在には泳げなくなってしまうことなのでした!!

………ぃやまあ、そらそうっちゃーそうやわナぁ;w

ともあれ、そうしたことも含めて、これら『トロピカル~ジュ!プリキュア』でのローラに係わる描写の総体は、フィクション物語に登場する「人魚」像の、新時代のひとつのメルクマールになったのではないでしょうか。

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さてさて、そんな今般のローラの、従来は人魚態だった身体が、人間態での日常生活も体験するようになるという事例。

じつは、このように自分の身体状況が一気に更改されるということは、従前の身体状況では体験し得なかった身体感覚を体験する機会が急に到来するということであり、それはまずは戸惑いや混乱を覚える事象であり、同時に、新鮮な驚きや感嘆を伴うエクスペリエンスであったりします。

前述の水泳部への体験入部をしてみたら人魚態のときとは違って人間態では泳げなくなっていることが発覚したのは、その視点に寄せて言い直すと、「うわっコノ身体めちゃ泳ぎにくいやん!」という、更改された身体感覚への対応に脳が追いついていないがゆえの身体制御の混乱だったとも言えましょう。

同じ回で、正座で足が痺れて、その身体感覚にローラが新鮮に感じつつも戸惑うシーンがあったのも、描写としては連関したものでしょう。

ローラがプリキュアに覚醒して人間態を得る、その少し前(第15話)では、ローラと、同じトロピカる部の上級生でプリキュアとしては「キュアパパイア」への変身者でもある一之瀬みのりの、その身体と中身が入れ替わってしまう、というハプニングが、ひょんなことから起きてしまいます(フィクション作品では珍しくないことですが、本作のシリーズ構成的には後の展開への仕込みとして機能している回でもあるわけです)。

そこで、みのり先輩は、ローラの、すなわち人魚の身体で海中遊泳に繰り出し、その自在に泳ぎ回れる感覚に新鮮な感動を覚えます。
一方ローラも、みのり先輩の身体で学校中を歩き回り、人間の身体の陸上で活動するうえでの便宜の高さを堪能するわけです。

そうして、ずっとこの入れ替わったままでは困るという不安の一方で、みのり先輩もローラも、各々いつもとは違う身体感覚の身体に新鮮さを感じ、その身体ならではの体験にテンションを上げていもしたのです。

じつは私も、性別適合手術の後に痛感した(←文字どおり痛かった!?)のは、手術で形状が大きく更改された股間まわり、その部位に係わる身体感覚が従前とは一変し、まったく異なるものへと大きな変化を遂げたという事実です。
「え゛っ、オシッコ……、ここからこんなふうに出るの!?!?」
 とか……。
そして、それにともなう脳内に残ってる従来の身体図式との齟齬から来る違和感と、違和感と同じくらい印象的だった新鮮な驚き。

これはすなわち、自己の身体の状況が変わるということは、そういうことなのだということです。
身体は世界を知覚するためのセンサーであり、収集されるデータが身体差に応じて異なることが、各人の世界認識を司っていくことになるし、本人の心理状態にも影響を与えるわけなのです。

これが性別の場合だと、男女を分かつ根拠とされる生殖関連の身体差に応じた身体感覚の差異の数々が、語られる機会をつうじてしだいに男女別に集計されていき、やがてある種の集合知となり、それが「男女の身体の違い」のように捉えることが可能なものになっている、ひいてはあまたある男女のジェンダー差を社会的・文化的に構成する一要素になっているということにもつながってきます。
じつはこうした機序をつうじてはじめて身体は性別と連関している――最初から身体に「男女」が内在しているのでなく――というのは、わりと「身体の性別」の真相に近いのではありますまいか。

そのあたりは、この『トロピカル~ジュ!プリキュア』オンエア期間中に出版されることとなった拙著『性別解体新書 ~身体、ジェンダー、好きの多様性』のほうに詳述してあるので、ぜひご一読いただけると幸いです。

ともあれ、『トロピカル~ジュ!プリキュア』でのローラとみのり先輩の身体入れ替わり展開~その後に来たローラの人間態獲得を受けたエピソード群は、そういった論点とも接続可能となる、「異なる身体感覚の体験」についてのけっこう踏み込んだ丁寧な描写であり、なかなか深いものだったのではないでしょうか。


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そしてもうひとつ、『性別解体新書』で取り扱っているテーマとの連関という点で、ローラの人間態獲得をめぐっては重要な論点が読み解けます。

ローラはなぜ人間態を欲したのでしょうか?

……というか、話が前後しちゃいましたですが、ローラはトロピカる部で仲間と過ごす時間を重ねるうちに、他のメンバーと同じく人間の身体だったらいいのになという思いを抱くようになります。
みのり先輩との身体入れ替わり事件は、その願望をあらためて自覚的に再確認するものでもありました。

しかし、それはローラが自身の人魚の身体を激しく嫌悪するようになっていったというようなこととはたしてイコールでしょうか??
「もう人魚でいるのは心底イヤだ。人間がいい」のような気持ちだったのでしょうか!?

ちがうでしょう。

ローラは自分の人魚態もまた気に入っていますし、我こそはグランオーシャンの次期女王を目指している人魚なのだというアイデンティティはむしろ確固たるものです。

しかし同時に、一方では
「トロピカる部のみんなといっしょに陸上で過ごすには人間の身体のほうが都合がいい」
「(人魚の姿はプリキュア以外の一般人には秘密にしておかないといけないことになってるので)人間態なら大っぴらに活動できて面倒くさくない」
 のも現実。

みんなと、もっといっしょにいろいろなことがしたい。
大切な仲間たちと、よりたくさんの楽しい時間を共にしたい。

夏海まなつとの出逢いに始まる陸上での生活は、当初は人間と暮らすことなぞもっぱら自分が女王になるためのプロセスにすぎないと考えていたローラに、心境の変化をもたらしていたとは、はじめに述べたとおりです。

この生活が素晴らしくシアワセ。
まなつ、みんな、大好き!

……しこうして、そのためには、人間の身体のほうが便利と思えるようになるのも必定。

そう。
「その身体が欲しい」って気持ちも、じつは一枚岩ではなく、思いのほか複合的・多層的であって、個々のケースごとに事情はさまざまでフクザツなものなのです。

現実世界でトランスジェンダーがホルモンや性別適合手術に至るような性別不合の場合でも、身体に違和感があると言っても、単純に「心の性別と一致しない」なんてものではなくて、望む性別に見られるうえでもっと有利な身体特徴でありたいとか、「ペニスがあるならそれは男だ」のような社会的な意味付けが重苦しいとか、あと、好きな相手との性行為に有益なアイテムが欲しい/邪魔なアイテムは要らない みたいなもの等々、丁寧に切り分けていくと、いろいろな要素が入り組んでいて、ひとりひとり内実は異なっていることが顕になってきます
(という件も『性別解体新書』にて詳述しています)。

いずれにせよ、自分の身体状況への違和感なり不満足感といったものは、個々人がいきなり自分だけで自発的に自覚するものではなくて、社会生活での他者とのかかわりの中で感じさせられるものなのだ、という視点は重要となります。

てなわけなので、この『トロピカル~ジュ!プリキュア』でのローラのごとく、そういう身体状況であることが、望むコミュニティに参加するうえでの大きな便益となっているので、その手段として「その身体が欲しい」、そこに重心がある、というようなパターンも当然にあるわけですね。
はい、ここテストに出ま~すノ

kasumi さんによる[ねとらぼエンタ]での連載記事のキュアラメール登場を扱った回でも、ローラが人間になりたいと望んだのは「手段」であって、人間になることそのものが「目的」ではなかった、という旨はしっかり強調されています
( kasumi さんの記事は常々手広くソツなく記述されていますから、どうぞ併せてご一読ヲ)。

  → 人魚のローラが「キュアラメール」に変身
「トロピカル~ジュ!プリキュア」で描かれた“足を得る”選択について
 [サラリーマン、プリキュアを語る/ねとらぼエンタ]
  https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2106/24/news028.html
◇◇

むろん、どんな身体状況の人でも、参加に不利益が生じないように態勢が整えられているコミュニティというのは理想でしょう。
各種のバリアフリーを推進することで、いわゆる障害者のノーマライゼーションが実現されることはそのひとつですね。

今般のプリキュアでのローラをめぐっても、例えば人間界の社会の様相が人魚の実在についてもっとレセプティブなものにはじめからなっていたなら、ローラが気を遣う必要もなかったかもしれません
(グランオーシャン側に人間と関わった人魚の記憶は消去されるなんていうわりとダークな掟があることが終盤で発覚したりもしましたが; ←そのあたりは最終回の結末へ向けてのローラの決断をめぐる見どころのひとつとなっていました)。

ただ、未だ理想には追いついていない現実の中では、事情を抱えた人の側が、現実と自身の事情をすり合わせながら、現状での最適解をマネジメントする営為も、否定されるべきではないでしょう。

その意味ではローラの件は、作中の文脈では、ひとつのソリューションとしてじゅうぶんに望ましい形であり、そうであるように描かれてもいました。

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あるいは「身体がこうあることが喜ばしい」「こういう身体こそが正しい」という価値基準が一方的に肯定されるような描写も、プリキュアに限らず、各種フィクション作品などでは留意が必要なのも確かです。
言うまでもなく、美醜の問題、あるいは肥満、頭髪・体毛などは、すでにセンシティブな案件でしょう。
いわゆる身体障害者の身体のありようを否定してしまうなどのミスリードも避けられなければなりません
(名作アニメ『アルプスの少女ハイジ』での「クララが立った~っ!」などは、現在のこういう観点を当てると、いささか精査が必要にも思えてきます)。

あなたがこう生きたいのだとしたら、その身体は間違っているね、みたいなメッセージは、多様性の否定に他なりません。
したがって、そういうニュアンスで物語を展開するようなことであれば、今どきのプリキュアシリーズでは当然にやっちゃいけないことのひとつにはなるでしょう。

でも今般のローラについては、上述のように心情の遷移や動機を自覚していく過程の描写が丁寧なので、そこらへんのミスリードについても杞憂だと考えてよいのではないでしょうか。
しかもローラ自身の意思で任意に人間態から人魚態に戻れるとなると、マジまったくノープロブレム。

なので結果的に、自分が社会的に係わるステージごとに、その場に応じた「なりたい自分」になることを、自身の身体状況をコントロールして適宜マイナーチェンジすることまでも含めて肯定し祝福する内容になっているわけです。

現実世界には、性別適合手術を含む各種の美容整形に対して、往々にして多数派基準に即したスティグマ化がおこなわれがちだった風潮が今なお残っているでしょうが、こうした物語描写が、それらを払拭するベクトルのひとつとなるなら、やはり意義深いでしょう。

身体は現実世界用のアバターのベースとなる素体ですから、デフォルト設定に不都合があるなら、修正ツールを活用することだって、非難されるいわれはないのです。

その点でも『トロピカル~ジュ!プリキュア』は、存外にスゴイことを描いてると私は思います。

例えば『HUGっと!プリキュア』が真正面からジェンダーの問題に取り組んでいたのに比べると、『トロピカル~ジュ』は一見シンプルに明るく楽しく物語を進行しているだけにも見えなくはなかったかもしれません。
しかし、じつは、ジュディス・バトラーの著書のタイトルを借りて言うなら、ものすご~~く『 Bodies That Matter 』なテーマに切り込んでいたということになるわけですね。

  
※ちょうどローラが人間態を得るか得ないかあたりのタイミングで、バトラーが1993年に著した『 Bodies That Matter 』の日本語訳が『問題=物質となる身体』という邦題で出版されていました。
拙著『性別解体新書』の参考文献には間に合わなかった(原著を読みこなすほどの英語力がないので;)のが遺憾なのですが、さりとて拙著も「身体の物質性が、いかなる機序でジェンダーと連関しているのか」についてガッツリ論述したつもりなので、僭越ながら、同じ2021年に出版された本として思いのほか内容的に重なるところは多いと言えたりもしそうです
◇◇

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あとひとつ付記すると、上記のように自分が社会的に係わるステージ各々において、その場その場に応じた「なりたい自分」をコーディネートし、自分が良い・適切だと思う自己像を呈示するという営為、コレ自体は私たちの社会生活では、ごくフツーに日々実践されていることです。

もちろん、奇跡を呼び寄せて人魚態から人間態になったり、もしくは錬金術で女体化するとか、まぁ現実的に選択可能な手段なら性別適合手術を含む各種の美容整形だったりするわけですが、そのように自身の身体そのものの物質的な実存としての状況を改変するケースは、たしかに一般的には日常的ではない・頻繁におこなうものではないかもしれません。

しかし、服装を工夫して自己のファッションイメージを演出する、そうやって自己呈示における印象操作を試みたりするのは、それこそ毎日の営みでしょう。

そしてその際、服装に加えて大きなファクターとなるのがメイク・化粧です。

『トロピカル~ジュ!プリキュア』では、このメイク・化粧についても、作品の主軸に据えられていました。
「メイクでチェンジ! ムテキのやる気」なんていうキャッチフレーズも。

これはひとつには作中でキャラクターたちが実際に使用するコスメとして「 Pretty Holic(プリティホリック)」というブランドを打ち出し、主要登場人物のひとりでキュアコーラルへの変身者・涼村さんごの家がそのショップだとしつつ、同名のブランド・ショップを現実世界でも展開する……という商業戦略でもありまして、現に人気を博して売り上げは上がったようです。

どうしても女児向けマーケティングではメイク・化粧・コスメは鉄板ですし、商業的な成功を期するためには、ある程度は手堅いところにコミットせざるをえないのも理解できるところです。

ただ作中では、メイクを「女の子らしくするためのもの」「そうすれば男子にモテたりするかも!」のように位置づけることは慎重に避けられていました。

素の状態に対して変化を施すことで自分のテンションが上がる。
「なりたい自分」をコーディネートすることで、自分で自分を好きになれる。
あくまでも、そのためのツールがコスメであり、自分のために自己の理想を叶える手段としてのメイクという軸線は貫かれていました。

実際のところ、メイクを日常的にする人にとって、その動機はだいたいそうしたものだというのは、わりと一般的だとも考えられます。
したがって、そこへフォーカスした『トロピカル~ジュ!プリキュア』のメイク・化粧についての取り扱いは、これもひとつ丁寧に制作されているポイントだったと言えましょう。


  

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