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エヴァンゲリオンはさっぱりわからない話 [経済・政治・国際]

新世紀エヴァンゲリオン』といえば、誰もが知る人気アニメ(各種メディアミックス展開も多数)シリーズであり、1995年のテレビアニメ版の放送が大きな反響を呼んで以来、劇場版も多岐にわたっている作品です。
この2021年にも新作の劇場版アニメが公開され、話題は尽きません。

そんな、日本のアニメ作品のラインナップにおける超重要作品である『新世紀エヴァンゲリオン』、ジェンダー等々の方面からははたしてどのような批評ができるのでしょう?

その意味では、そこはまさに佐倉智美センセイの出番です、ゼヒよろしくお願いします! という声もあるのでしょうか。

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 (画像はイメージです。出典:いらすとや)◇◇

しかし!!

誠に遺憾ながら、ワタクシ、『新世紀エヴァンゲリオン』についてはさっぱりわからないんですね、じつは。

なにせ1990年代の半ばというのは、私が仕事でもプライベートでも何かと追い詰められていた時期。
特に『エヴァンゲリオン』がオンエアされた1995年なんて、そのピークであり、私がいちばん壊れていた時期と重なっています。
とてもアニメをあれこれ観て楽しもうなんて心の余裕はなかったのです。

加えて当時の仕事の内容は個別指導塾の運営。
小中高生が学びにやってくる授業時間といえば概ね当時のアニメの放送時間とも重なっているわけです。
よほど気になった番組ならビデオに録画しておいて後で観るという手段があるにはありましたが、さりとて当時の録画機器・録画媒体といえばVHSのテープ。もしも暇が取れずに視聴を溜めてしまった際の管理の面倒は、現在のハードディスクレコーダーの比ではありませんでしたし、実際に暇は取れなさそうと予見できることが常態化してもいたりしました。

そんなこんなで、1990年代の大半は、精神的にも物理的にも、じっくりアニメを視聴するだけのリソースがなく、ゆえに当該期間の作品群については私のアニメ知識の穴となっておるのでした

(なので同様に、1990年代が放送時期にあたっている「アニメとジェンダー」的には重要タイトルであろう『少女革命ウテナ』についても、よくわからないです。
また『美少女戦士セーラームーン』シリーズについては、2003年の実写版を当時保育園児だった娘と一緒に視聴したので多少はリカバリーできていますが、やはりシリーズの全体像については苦手分野であることに変わりありません)

しかも『エヴァンゲリオン』はテレビ版や劇場版に「新劇場版」などといろいろ枝分かれしていて、どれからどう見始めたらいいのかについても獏としています。
それゆえ分量も多い。
したがって、今からリカバリーするというのも相当な労力で、あまり現実的ではありません。

というわけで、ワタクシ・佐倉智美はエバンゲリオンについてはさっぱりわからない、ということで、あしからずご了承いただくしかありません
(さっぱりわからないくらいなので、特に思い入れもなく、そのためエ「」ンゲリオンとかも平気で言えちゃう;)。

いやはや、日頃はプリキュアをはじめとしてジェンダー観点からいろいろと薀蓄を語っていながら、タイトルによってはぜんぜん役立たずだなんて、誠に本当にまったくもって忸怩たる思いです。
ごめんなさい
こういうときどんな顔をすればいいかわからないです。


  


しかし、今あらためて考えると、これだけのオタク属性の人間が、『エヴァンゲリオン』ほど話題になったビッグタイトルさえチェックが行き届かないくらい、好きなアニメも観ることがままならなかった状況というのは、相当にヤバいですね。
まさに「壊れていた」とは言い得て妙。

そして、
当時のワタシが追い詰められていたのには、性別違和をめぐる諸条件が問題を増幅していたというのも、もちろんあります。
しかし、直面していた案件自体は、誰にでもありうる種類のものだったというのは留意したいところです。

ひとつは性的充足の困難にまつわる件。

「男女」が「恋愛」として「付き合う」ことこそが至高の人間関係で、やがて結婚するのが当然だし、それでこそ人間一人前。
性的欲求もまたその間柄において満たすことが正当であり素晴らしい。
だからオマエも頑張れ。男だろ!?

そういった絶対的な価値規準がヘゲモニーを握る世界で上手に立ち回れずに、望ましい親密圏は手に入らない。
それでも生理的に押し寄せてくる射精衝動と、それと連関して膨張する性的ファンタジーをマネジメントしきれない無力感。
これらが「男としてダメだ」という認識につながり、自己肯定感を持てないままに非モテを拗らせていくという負のスパイラル。

かかる状況の泥沼のうちにぐちゃぐちゃなっていたのが、私の1995年頃だったと言えるわけですが、これは決して特殊で珍奇なレアケースではないでしょう。

したがって、類似した事態に陥ったときに、破滅的な展開を避けるためにも、価値規準を相対化することは重要です。

べつに男女で恋人どうしにな(り、結婚す)ることだけが至上の関係性だというわけではない。
他者と性行為をおこなうことだけが性的充足の方法として唯一正当なのでもない。
「好きは多様」だし、マスターベーションもれっきとした性行為である。
異性の恋人(・配偶者)は人生に必須ではなく、その存在の有無が社会的地位の評価に用いられるのも不当な取り扱いである。

このような考えに至ることができれば、懊悩を緩衝し、絶望を回避するのに大いに有用です。
1995年の私にはいまだ困難だったのだとしても、今日であれば、それは誰にとっても四半世紀前に比べて多少は容易なはずです。

一方、もうひとつ
それはさらなる仕事にかかわるストレス

前述のとおり当時は、個別指導塾を任される格好にはなっていたので、建前上は安定した仕事に就いていたとも言えなくはありません。
そして実際に生徒たちとヨタ話もまじえながら勉強を教える業務というのは、楽しくもあり、また自分に向いている職種でもあったでしょう。

というか、現在でも文筆業以外の収入は大学非常勤をはじめ各種講演講師だったりするわけで、じつのところ、いわばソレしか向いていない。
逆に言えば、それだけを任されて、その仕事ぶりを適正に評価してもらえて、相応の対価を給与に反映させてもらえていたなら、何の憂いもなく授業に注力できて、それこそ三方良しだったはずです。

しかしそれが許されないのも現実のこの世界の世知辛さ。

もっと責任ある立場に。
経営にも参画して、収支にも関心を払ってもらいたい。
それが給料をもらう責任というもの。
いゃぃやコレは厚遇してるんだヨ。
そういう領域こそがこの世界で価値ある仕事なんだし。
やがて結婚して妻子を養うためには、そのくらいがんばらないと。
男なんだから!

というように、経営陣の意向でどんどん自分には適性がない業務が降りかかり、しかし期待に沿えられるはずもなく、それで上手く実績を上げられなければ、どうしたと叱責。
なぜできないんだ。男がそんなことじゃ困るぢゃないか、女の人ならともかく。

かくして上からの評価も、そして自己肯定感も、これまたあれよあれよと言う間に爆下がる日々となってしまったのでした。

まぁ公平に見て、子どもたちの勉強の相手をすることと、会社の経営を考えることは、明らかに使う能力が異なりますから、両方の適性を兼ね備えている人なんて、そうそういないでしょう。
時間的労力的なリソースの面からも、同じ一人の人物が兼務するのは激務に過ぎる可能性が高いです。
端的に言って、学習塾の運営においては、授業をする人と事業をする人は別でないとダメなのです。

なのに、にもかかわらず、ソコのところの無理を通して道理を粉砕する恐るべきマジックワード「男だろ!!
(まぁ、つまるところ当時のこの塾の経営会社がいわゆるブラック企業だったということになるのでしょうが)

実際、大枠としては似たようなロジックで、過大な負担の業務、望まない職種の仕事を強いられている人は少なくないのではないでしょうか。
しかし、そのストレスが少しずつ心身に負担を貯めてしまい、いつか限界を超えてしまうリスクに鑑みるなら、まだ大丈夫、がんばれる、もうちょっとは踏ん張れると思えているうちに、何らかのアクションを起こすことも望まれます。
壊れきってからでは取り返しは尽きません。

その意味でも、何かすごい役割に抜擢されそうになったときなどは警戒が必要でしょう。

向いてない職種、こなしきれない業務の多さ、そして対価に見合わない重さの責任。
質的にも量的にも自分のキャパシティをオーバーする仕事は、危機的な負荷を自身に強いることが明白です。

あなたが必要だ。
他の人間には無理だから。

収入は必要だとか、世の性別役割規範のもとでは断りづらいとか、こちらのいろいろな事情につけ込んで、甘い言葉で承認欲求をくすぐり 辛い大役を押し付けられてしまっては遅いです。

ですから、たとえあなたの前に、包帯でぐるぐる巻きの点滴の管も繋がれた女の子がストレッチャーに乗せられてきて、オマエが引き受けないのならその子がやることになる……みたいなプレッシャーをかけられたとしても、うっかりほだされて「ボクが乗ります」なんて言っちゃう前に、今一度 慎重に考えるべきです。

こういう場合、逃げちゃダメなんてことはないのです。
むしろ 逃げましょう! 全速力で!!


………というわけで、『エヴァンゲリオン』はさっぱりわからないんです、というお話でした。

※ぃやまぁ「人気アニメ、あの名場面をもう一度!」的な番組で紹介されるような有名シーンくらいは幾度か目にした機会はあります。が、それでも当該名シーンの細かい文脈とかはやっぱりぜんぜん把握できてはいません。なので『新世紀エヴァンゲリオン』は未視聴につきよくわからないというのは本当に本当です;

◇◇
  
ワタクシ佐倉智美の90年代の苦闘も描かれている『明るいトランスジェンダー生活』と、当時の「壊れ」っぷりのヤバさがフィクションに仮託された小説『M教師学園』もヨロシク

◇◇

◇◇



共通テーマ:アニメ

これは酷い!春日神社は祟っていいレベル [経済・政治・国際]

さて、お知らせブログのほうにまとめました中国自動車道を横断して架かる橋の件ですが、あれはなかなか心温まる良いエピソードでした。

→ 中国自動車道に朱塗りの橋を探して
  /今日も明日も花ざかり(佐倉智美「お知らせブログ」)
https://est-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2020-05-27_bridge


一方、あれとはまさに正反対な現場が、なんとJR茨木駅から徒歩10分余でしょうか、最近できた立命館大学の新キャンパスからほど近いポイントにあるのです。

それがこちら春日神社!

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現地リサーチしたのが2018年の11月でして、そのせいで鳥居は6月の大阪府北部地震でいささか損傷したのでしょう、根本に補修が施されていますし、「春日神社」と書かれた銘板も外れており、ちょっとわかりづらいでしょうか。それでも、明らかに侮れないオーラが出ています。
なお、ソレ以前の様子をGoogleストリートビューで確認すると、こんな感じ
(画像はスクリーンショット)

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こちらには由緒ある来歴が記されています。
茨木のこの春日神社、これはなかなかハンパないゾ!

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それでは鳥居をくぐって…

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参道を進んでいきましょうノ

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参道を進んでいくと……

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あれっ……!?

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えっ、えっ……!?!?

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ゐゑ゛ぉ゛ー!?!??!

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※時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より
 → http://ktgis.net/kjmapw/index.html


ええ゛~~~っ!!?!?!!!

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※Googleマップより


これは酷い。あまりにも酷い。
春日神社の参道が、かつては一の鳥居からまっすぐに境内へと直通していたところを、20世紀後半になって建設された府道・中央環状線(一般道路部分)と近畿自動車道(中央部分の自動車専用高速道路)によってバッサリと分断されているのではないですか!

どうすんねんコレ!?

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しょうがないので迂回します。
この日は南回りルートで、奈良交差点の信号のところの横断歩道のお世話になりました。

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ぐぬぬ……;

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そして反対車線側の歩道を再び北上して……

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やっとこさ辿り着く参道の続き
(4つ前の写真が、この地点から最初の鳥居の方向を振り返ったもの)。

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境内に至ると、静かで落ち着いた神聖な趣の空間です。

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この位置から参道を振り返ると……。
本来はあの最初の鳥居のところから一本道のはずなんですがねぇ;

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社殿からは荘厳な雰囲気も漂います。
地元にとって大切な神域なのですね。

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というわけで、この茨木の春日神社。
中央環状線と近畿自動車道はもうちょっとなんとかできなかったんでしょうかねぇ。

他にも用地の提供と社殿の移動も強いられているとか。
率直に言ってあんまりな気がします。

仮にも神社の参道。
それを公共の名のもとの道路建設とはいえ、平然とブツ切りにして何のフォローもケアもない。

いったいなぜこんなことに!

地域で受け継がれてきた信仰、連綿と伝わる宗教的な心情に立脚した文化、そうしたものへの配慮が一切ない、こんなやり方がかつて認められてしまったことには、どこかやりきれない思いがします。

これこそが高度成長時代の経済発展優先の価値観の弊害なのでしょうか。
人々の思いなり歴史の重みなり、そういったものを顧みない文明が、はたしてどのような行末をたどるのか……。

それらへの反省点を、少なくとも現在21世紀の私たちなら、多少は総括できているはずです。
せめて今からでも遅くない。
地下道か歩道橋を作ることを検討くらいしてもよいのではないですかね。

この現状を見る限りでは、いわばいつ春日神社の祟りがあっても不思議ではない気がします

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………てゆーか、中央環状線と近畿自動車道、いずれもこの茨木市奈良付近といえば、悪名高き渋滞の名所。

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国道1号線や枚方大橋といった、他の渋滞の名所がなんともないときでも、この場所だけはベッタリと詰まってます。

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※日本道路交通情報センターの交通情報サイト大阪府北東部一般道路の、ある日の簡易図表示のスマートフォンでのスクリーンショット


まさかとは思いますが、コレ、春日神社の祟りなんじゃぁないでしょうね!?


◇◇

◎ちなみに大阪府茨木市内には「春日神社」は複数あるとのことで、それらを区別して言う際には本記事で取り上げたものは「奈良春日神社」となります。
当記事中の写真にあったように、いわゆる「奈良の大仏」の奈良、今に言う奈良県奈良市のあの春日大社との縁に来歴し、このあたりの地名が「奈良」なのもそれに因んでいるわけです(こんな大阪府茨木市に「奈良」なる地名があり、前述のとおり道路交通情報では頻出するので、特にラジオで聞いているときなどは地味にややこしい)。
したがって本記事冒頭の参道入口の鳥居などは、間違いなく茨木市奈良に所在しますし、春日神社も元々はこの奈良の村の氏神様だったということでしょう。
にもかかわらず、今日では中央環状線の存在が市域を区画している現実に合わせて住所表示も定められてしまったため、春日神社本殿所在地の住所は隣の地名である茨木市天王になってしまっています。
そういう行政上の便宜が優先となり、土地に伝わる由緒が犠牲にされてしまっているところにも「扱いの軽さ」が感じられて、極めて遺憾に思えてしまいますね。


◇◇



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失われた京都の伝統工芸~京アニ事件に思うこと [経済・政治・国際]

「京都の伝統工芸」と言えば何が思い浮かぶでしょうか。

西陣織? 京友禅??
あるいは京菓子や京人形、清水焼(きよみずやき)なども該当するようです。

少し言葉の意味を広げれば、さらに多くの具体例が挙がるかもしれません。

しかし、そうした真正の定義の範疇にある以外にも、京都を地盤とし、地域に根をおろした形で、日本の伝統的な美を追求しつつ、新時代のアートとして海外からも高く評価される成果物を創出する実績を積み上げてきた分野があります。

そう、それが京都アニメーションによるアニメ作品群。

当ブログでも『小林さんちのメイドラゴン』、そして『響け!ユーフォニアム』については再三にわたって記事にしているとおり、そのクォリティはすこぶる高く、その内容も非常にエモーショナルなものです。

精緻で美麗な描写で、観る人の心に訴える物語の数々が生み出されたことは、まさに京都ブランドの世界的な至宝だと言っても過言ではないのです。

しかし、その京都アニメーション、『メイドラゴン』記事の末尾にすでに追記したように、先月、2019年7月18日に痛ましい事件が起きたことは周知のとおりです。



放火の被害は甚大で、筆舌に尽くし難く、ワタシも1ファンとしていまだに上手く気持ちを整理しきれずにいたりもします。

ツイッターなどでは「 #PrayForKyoani 」というハッシュタグも設けられ、世界中からさまざまな声も届けられています。
それらは祈りと応援のほか、それぞれの発信者の人生に京アニ作品が大きく影響し、自らが苦悩を乗り越えるうえでのパワーをもらえたといった旨も少なくありません。

それだけに、今回の事件で京都アニメーションを支えた人材が失われ、制作態勢が損なわれたことは、はかりしれない痛手だということになります。

したがって、アニメカルチャーに詳しくない人だとあまりピンと来ないのかもしれませんが、じつはこの事件による損失は、それこそ西陣織や京友禅に匹敵するくらいの、「京都の伝統工芸」が被った厄災だと言えましょう。


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さて、そんな次第であるので、一度は現場の状況を確認したいと思い、先日、足を運んでまいりました。


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京阪六地蔵駅の改札口は『響け!ユーフォニアム』での登下校時にもしばしば登場したスポットです。


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現場はやはり痛々しい第1スタジオ前。
やたら写真を撮るのも不謹慎だと誰もが考えるのか、私の他にも何人かが記録のためにと遠慮がちにシャッターを切っていました。

この時点では献花台が少し離れた場所に設置されていたのですが、そちらで手を合わせる人も多数。

ちなみにその様子を取材するマスメディアも。


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しかし、現場周辺はこのように狭い路地もある一般の住宅街。
あれだけの火災となりながら、よくぞ周囲へは延焼しなかったものだなと、あらためて思います。
それだけ京都アニメーションのスタジオ自体は防災にも気を配った耐火構造の建物であったということなのかもしれません。


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なお、周辺は本当にフツーの住宅街です。
訪れる際はじゅうぶんに留意しましょう。


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ということで少し移動します。
いかにも黄前久美子と高坂麗奈が並んで座っていそうな京阪電車宇治線の車内。


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てゆーか、京阪木幡駅の京アニショップ広告は、その「くみれい」です。


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待って、その反対側は「のぞみぞ」じゃないッスか、と、尊い!(*^^*)


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……というようなことを考えつつ駅を出て、そうして臨時休業中の京アニショップの前に立ち尽くす人が、ワタシの他にも複数;


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JRの木幡駅のちょうど前が京都アニメーション本社ですが、部外者である1ファンとしては、気にはなるものの無闇に覗き込んだりするわけにはいきません。


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かくして京阪電車宇治線の終点・宇治駅までやってきました。


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『響け!ユーフォニアム』とのコラボイベント延期のお知らせの掲出にも、気持ちは切なくなることを禁じえません。


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そういえば時節柄ちょうど宇治橋は「上手くなりた~い!」の日付あたりでした。


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京阪宇治駅のところの観光案内所にも『響け!ユーフォニアム』のパネルが設置してあります。
物語の地元として、いわゆる聖地巡礼に訪れる人は少なくないのでしょう。


そんなこんなで、事件に心を痛めているファンが少なくないことが伝わってくる、事件現場周辺の探訪だったと言えます。

やはり喪われたものの大きさは計り知れないと言えましょう。

あらためて事件にて犠牲となられた方のご冥福を祈り、重軽傷を負った皆様の回復を願い、そして京都アニメーションの復興とさらなる発展を望んで止みません。


◇◇

◇◇



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