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「はじめて電話するときにはいつも震える」のはなぜ? [その他雑感つぶやき]

プリンセスプリンセスの『ダイアモンド』(正式表記は英字)は1989年リリースで、もう30年以上も昔の楽曲ということになります。

その歌詞(作詞:中山加奈子)は、バブルの空気感の中で男女雇用機会均等法の時代を女性として生きていく人たちへ向けて、その新しい時代の生き方を称揚するものだ言え、卓抜した音楽性とともに、当時の特に若い女性たちの間で大いに支持されたのでした。

大学の後輩達の飲み会にたまたまOBとして(当時いわゆる社会人2年目だった計算になります)お邪魔した機会に2次会のカラオケで1年生の女子たちがノリノリでこの曲を歌っていたのも、妙に印象的に思い出されたりします。

むろん令和の時代になった現在なお、歌い込まれたメッセージは古びることはなく、まさにこの男女共同参画社会基本法の時代にこそ、失われない永遠の輝きを放ち続ける名曲のひとつであることは間違いありません。


◎ PRINCESS PRINCESS 歌詞情報 - うたまっぷ 歌詞
 → https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=36171

◎プリンセスプリンセス DIAMONDS 歌詞 - J-Lyric.net
 → http://j-lyric.net/artist/a000ee5/l0050ef.html


そんな、古さを感じさせないプリプリの『Diamonds』ですが、しかし別の観点から見ると、じつはいろいろ「古い」のですね。

というか、リリース当時すでに、この歌を耳にしたときのネタ会話として、
「《針がおりる瞬間の 胸の鼓動 焼きつけろ》
…って、10年くらいしたら意味がわからん若い人とか出てくるやろうなぁ」
みたいなものがすでにありました。

往時はちょうどアナログレコードからCDへの転換がだいたい完了しつつある時期。
筆者がCDプレイヤーを購入したのも前年の1988年で、そのあたりでツタヤなど「レンタルレコード店」での音楽商品の取り扱いもアナログレコードが終了し専らCDのみに変わり、いわばCDが必須になってきていた頃合いだと言えるでしょう。
てゆか、そんなわけなのでプリプリの『Diamonds』自体、最初からCDで聴いていた人がほとんどなのではないでしょうか。

ですから、「針がおりる瞬間」がひとつにアナログレコードの演奏スタートを意味しており、そこにはちょっとしたドキドキワクワク感があったことや、そのレコード針の最高級の材質がダイヤモンドであるという楽曲タイトルとの連関も、アナログレコードで音楽を聴くという文化と密接につながっているので、そこを体験していない今後の世代には、この歌詞が実感を伴って理解できなくなるだろうなというのは、容易に予測できたわけです。

むしろこの歌詞では、そういう失われつつある文化へのリスペクトと若干のノスタルジーを込めて、そうした「針がおりる瞬間」の《胸の鼓動 焼きつけろ》と謳っていたのではないか。作詞のコンセプトにそういうものを推測することもできるかもしれません。

……そして!
実際にそれから10数年が経過した21世紀。

♪ブラウン管じゃわからない景色が見たい~♪

「……センパ~イ。この《ブラウン管》って何ですかぁ??」

………………;

ブラウン管「が」わかーらーな~い♪

…というような会話がもしかしたら世間のあちこちで繰り広げられているかもしれないように、まさか《ブラウン管》のくだりで引っかかって《針がおりる瞬間》までたどり着けなくなるとは、さすがに当時には予想できませんでしたねw

もちろん「ブラウン管」は現在のように液晶画面などが主流になる以前のテレビ画面の映示機構を意味していて、歌詞の趣旨はといえば、つまりは「映像ではなく本物にアクセスしたい → 閉じ込められた場所から解放されて飛び出そう!」といった感じと捉えればいいでしょう。


 BL200605Diamonds.JPG
※画像は上記[うたまっぷ]からのスクリーンショット


さて、パーティーはこれから……ぢゃなかった本題はこれからなのです。

先日、例によって大学の授業がオンラインで遠隔実施となっている我が娘・満咲と同じ部屋で作業(新刊原稿の執筆など)をしていたとき、BGMにかけていたプレイリストから、ちょうどこのプリプリ『ダイアモンド』が流れてきました。
せっかくなので満咲に上述の件を説明したりしていると、2番の冒頭

《(いろいろ恋愛の経験値を積んでも)
 はじめて電話するときにはいつも震える》、

ここを聴いた満咲さんいわく

「……もう電話するくらいの仲になってたら、そんなに震えたりしなくてよくね??」

……………………!!

なるほど、そーなんかっ!

つまり今のスマートフォン時代にあっては、若い世代が「はじめて電話する」シチュエーションというのは端的に言って、
相応に親密になり、
LINEの交換も済んで、
アプリ上でのメッセージのやり取りも結構な分量が蓄積された果てに、
その日のメッセージ交換中のほんの些細な行きがかりで
「ちょっと声で話そう」
と、そのトークルーム画面から音声通話ボタンを押す
ただ単にそれだけ
……のようなものであるのでしょう。

ははぁ………。

もちろんこれは1980年代とはまったく異なる状況です。
「はじめて電話する」の意味が、コレだと今と当時とではゼンゼンちがう。

往時においては、親密になりたい気になる相手と距離を縮めるためのアプローチとして電話番号をゲットするというのは重要なポイントでしたし、そこから実際に電話してみる、そこでどのような会話を深めるか、その成否はズバリ今後の関係性の進展の鍵を握っていました。
そんな以後の展開を左右する重大イベントなわけですから、たとえレベル1からずっと進んだステージであっても(むしろだからこそ?)、そりゃぁ震えもするというものです。

しかも、当時の電話といえば携帯端末ではなく家の固定電話。
その時代の[好きな異性に電話する]というのは、いわば「誰が出るかガチャ」だったりしました。
相手が一人暮らしならまだしも「高校生の男の子が同級生の女の子の家に電話する」なんて設定のもとでは、それ自体が、厳格なお父さんが受話器を取ってしまいエラい目に遭うフラグだったりしたものです。
……はい、かつての実体験ですw
(「受話器を取る」という言い回しも、そろそろ死語でしょうか?)

別の昔の楽曲でも、そのあたりが伺える表現はあります。
甲斐バンドの『天使』(作詞:甲斐よしひろ)の《テレフォンコールは2度めに切るのが合図さ》などは、厳しい親の目をかいくぐって男女が電話連絡を取り合う際のライフハックを意味しています。
1回では本人にも気付かれない。3回鳴らしたらそれこそ家族が出てしまう危険性がある。だから2回なのですが、そうやって相手に今から電話するよという意思を伝えて電話口まで来てもらい、そのタイミングを見計らってからリダイヤルするわけですね
(ちなみにダイアル式の黒電話には「リダイヤルボタン」なんてものありません)。

同様にさだまさしの『住所録』(作詞:さだまさし)でも《2度鳴らしてまたかける》という歌詞がありますが、表現されているものは上述と変わらないでしょう。
さらにこちらは(相手と何らかの経緯で破局した後日に)《指が覚えたダイヤルを夜中にそっと廻してる》などとあり、番号通知については考慮されてないのかとか、そもそも後の時代であればよくかける相手ほど一発でかけられるように端末に登録するから番号を「指が覚える」ことはなかっただろうとか(ダイアル式の黒電話には「ワンタッチダイヤル登録機能」なんてものは…略)、ツッコミたくなるポイントが多いです。
諸般の事情で別れてしまい連絡を取ることもなくなった相手の住所録情報を消去するという行為も、今のデジタルなものなら紙の住所録のノートを新しくする機会でなくても個別に可能ですしねぇ;

※甲斐バンドの『天使(エンジェル)』歌詞
 → https://www.kkbox.com/jp/ja/song/qX.00X3Xr8YmJ8hamJ8ha0XL-index.html

※さだまさし『住所録』歌詞
 → http://j-lyric.net/artist/a0004ab/l04727c.html

あと「テレフォンコールは2度めに切る」の意味を今の若い人に尋ねたら「ワン切り! 着歴を残してかけ直してもらうねん。そしたら電話代が向こう持ちになるねん」なんて回答されるのかな? などと(すでに)10年余り前には思ってたものですが、そんなワン切り文化自体が速攻で廃れてしまいましたね(現在のワン切りは主に悪徳業者によるものらしい); 我が娘・満咲も基本的にポストワン切り世代ですね。

§上記、一部に異性愛前提に則った記述がありますが、これは同性愛なら好きな相手の家に電話して親が出た場合でもフツーに同性の友達からかかってきたものと解釈されてしまうので、ここで言う親が出たという関門を突破して本人に取り次いでもらう課題の難易度が、異性の場合とは同列に語れないためです。


そんなこんなで娘に、こういったあたりを講釈しつつ、

「てことは、今だとこの《はじめて電話する》に相当するのは何かな? LINEの(アカウントの)交換を申し出るときあたり??」

「まぁひとつの目安は、そんなところとかかなぁ……」

などといった会話をする、とある初夏の昼下がりなのでありました。

このように「はじめて電話する」が持つ意味、それを含めた電話を使ったコミュニケーションをめぐる各種の意味合いも、時代とともに変わっていく。
そして、これからも変わっていくのでしょうね。


  


◇◇


☆もうひとつ付言するなら、高橋留美子原作のアニメ『うる星やつら』で面堂終太郎が用いている「携帯電話」(だと現在の私たちには見える通信端末)。あれが当時の現実世界には影も形もない架空の先進的デバイスで、いわば(面堂家が超大富豪であるがゆえに保有している)私設軍隊と同レベルのギャグとして登場していたということは、折にふれて語り継いでいく必要があると思ってたりします。


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