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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて
僕はホモちゃん [多様なセクシュアリティ]
前記事では昨今の情勢には改善が見られる旨を書きましたが、今なおセクシュアルマイノリティが差別や偏見にさらされる機会はなくなったわけではありません。
油断していると、侮蔑や嘲笑、揶揄、そうでなくても憐憫の視線や言葉は飛んでくるものです。
そんな中では「ホモ」「レズ」「オカマ」といった用語は、元々はそうではなかったとしても、長らく否定的な文脈で使われてきたがゆえに色がついて、言われれば当事者が不快に感じる言葉となっています。
略さずに「ホモセクシュアル」「レズビアン」とした場合はこの限りではないですし、例えば当人が自分で「われこそは伝説のオカマ・◯◯である!」とプライドを込めて名乗るようなケースも認められないといけません。
とはいえ、特に必要もないのなら「ホモ」「レズ」「オカマ」の語は使うべきではないし、うっかり使うと思わぬ人権侵害になってしまいかねない、取り扱い要注意ワードであるということは、ここにあらためて申し上げておきたいところです。
……間違ってもツイッターのホモネタのハッシュタグで遊んだりしないように!
ところが、そんな折、意外なことを小耳にはさみました。
この森永の製品によくあしらわれているマーク、というかキャラクターなのですが…
……なんと名前が【ホモちゃん】だそうなのです!
ぇえ゛っ、マジっすか!?
いったいどういうことなのでしょう??
事の次第、その前に真偽のほどを確かめるべく、googleで検索してみると……出ました。
これですね。
「牛乳プリンとホモちゃんのひみつ 森永乳業」
→ http://www.morinagamilk.co.jp/products/brand/milkpudding/secret.html
ではクリック(おそるおそる)
「……………」
な、なんじゃコリャ~~っ!
ビックリです。
ここまで堂々とホモホモ言われたら、かえってすがすがしいとさえ言えましょう。
+++++++↓上記リンク先サイトから引用↓+++++++
《誕生のひみつ》
こんにちわ。ぼくはホモちゃん。
今は牛乳プリンのキャラクターとしておなじみだけど、もともとは、昭和27年に発売したビタミン入りの「森永ホモ牛乳」っていうびん牛乳のキャラクターとして生まれたんだよ。
《どうして太陽なの?》
牛乳と太陽は、実はとっても仲良しだって、知ってる?
牛乳に含まれるカルシウムの吸収を助けるビタミンDは、日光浴することで体内で作られるんだ。牛乳を飲んで太陽の光を浴びると、丈夫な骨が作られるんだよ。
ぼくの顔は、ビタミンD入り牛乳のキャラクターとして、明るくさわやかな太陽をイメージしてデザインされたんだ。
《名前のひみつ》
ぼくの名前はホモちゃん。
「均質化」っていう意味の「ホモジナイズド」が由来だよ。
今でこそ市販の牛乳のほとんどが均質化されて売られているけど、ぼくが登場した昭和27年当時は珍しいことだったんだ。
++++++++++↑ 引用ここまで ↑++++++++++
そして、よく読んでみれば森永乳業にも同性愛者への悪意などはもちろんなく、「ホモちゃん」の由来は牛乳プリンの「牛乳」における、いわゆる「ホモ牛乳」。
そして「ホモ牛乳」の「ホモ」というのも、成分中の脂肪球を特製の装置を用いて「均質化(=ホモジナイズ)」していることを表していて、ホモセクシュアルとはまったく無関係であることがわかります。
※「ホモジナイズ」が意味する「均質化」は脂肪の粒の大きさを「同じにする」ことのようなので、ホモセクシュアルの「ホモ」とソコのところの語源は共通と考えられますが
なるほど!
よくわかったよ、ホモちゃん!!
しかし、こうして見ると、「森永ホモ牛乳」が発売された昭和27年(1952年)当時って、こんなにも堂々とホモホモ言っても、特段の問題はなかったということになります。
あまつさえ「昭和28年3月にはサトーハチローさん作詞の『ボクはホモちゃん』の歌が民間ラジオ放送で全国に流れたよ」とあります。
何やらものすごく牧歌的な印象さえあります。
今なら絶対に炎上モノですよねぇ…(^_^;)。
言い換えると、この1952年以降になってから、ホモフォビアの風潮が強まり、同性愛的な表象に対して「お前らホモかぁ!」などという投げかけが主流化され、以てこの語がセクシュアルマイノリティ当事者にとっては暗い記憶とつながる用語となったことになります。
※年代的には高度経済成長期に当たりますから、そうした時代背景と、社会の趨勢が「ジェンダー化」されていったことの相関関係などを、歴史社会学的に研究してみるのもオモシロイでしょう
「ホモ」の語には罪はなく、それを差別的な文脈で使うことを許容した世の風潮こそが悪だったことが、あらためて再確認できますね。
だから、逆に考えれば、世の趨勢が変われば、「ホモ」をめぐる現状もまた、将来に対して可塑的であり変更可能なものであることがわかります。
セクシュアルマイノリティの生きづらさは、「性別は男と女である」「恋愛や性的交渉は男女間でおこなうものである」といったジェンダーやセクシュアリティの諸規範によって、社会的に構築されています。
したがって、セクシュアルマイノリティの生きづらさを改善するのであれば、その責任をセクシュアルマイノリティの本人に負わせるのではなく、社会を構成するメンバーであるひとりひとりがより豊富な知識に基づいて責任ある言動を心がけ、以て、社会が変わることをもってすべきなのです。
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