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ドラマ『IS』親子鑑賞会その3 [多様なセクシュアリティ]

六花チヨ原作のテレビドラマ『IS ~男でも女でもない性~』は、先日つつがなく全10回の放送が終了しました。

   

10話で最終回ということは、1クールのドラマとしては短めで、最後はかなり駆け足感がなきにしもあらずでしたが、全体としては、細かなツッコミどころは多少あったにしても、よくまとまっており、セクシュアルマイノリティを取り上げたテレビドラマの歴史に確実に新たな1ページを刻んだと言ってよいでしょう。
視聴率的には華々しい数字が出しにくい題材である中で、番組スタッフやキャストは難しいテーマに真摯に向き合い、よくがんばったのではないでしょうか。

特にラストの主人公ハルのセリフの、高校入学当初の女子として通学すべしという条件が撤回されたために、中学までそうしていたように男子制服を着て登校し始めたものの、それもまた何か違和感がある、つまり世の中は単純に人を女かそれとも男かで二分しているけれども、そのこと自体が誤っているのではないか、そしてそのことをわかってくれる人の輪が少しずつ広がることで、自分たちは生きやすくなっていくんだという趣旨は、まさにそのとおりで、ドラマのシメにこれが述べられたことは、大いに意義があったと思います。


ただ、ドラマ終盤の展開で、いささか描写が控えめすぎると感じられたのが、主人公ハルと伊吹センパイの関係です。
伊吹先輩は中盤でハルが恋心を抱いていることを自覚する相手であり、ハルが「本当の自分をみんなにわかってほしい」と全校生徒に対して自分がIS――性分化疾患であることをカミングアウトするに至るきっかけともなる重要人物です。

しかし第9話では、ハルは伊吹センパイにこれからもせめて「友達」でいてほしいと告げ、それを聞いた伊吹センパイは、いわゆる恋愛的な関係性を拒否されたと受け取って絶望的な気分になるというくだりがありました。
ですが「友達で」が、恋人としての関係性の可能性を拒否する言葉として機能する社会風潮と、ISやその他のセクマイを苦しめる性別二元制&異性愛主義は、じつは表裏一体。
となると、そこを越える二人のつながりを描かないと、このドラマとしてはダメなはずです。
ところが、これに続く最終回の第10話では、二人をめぐる描写はいたく控えめで、かなりの内容が、視聴者の想像に委ねられた、含みを持たせた形となっていました。

この点、当初は私も、作品のテーマが斟酌された結果、安易に異性愛的恋愛至上主義に迎合した形でカップル成立にてめでたしめでたしという展開をよしとしなかったからなのかななどと思っていました。
しかし、真相はどうも正反対だったかもしれないと、後日録画を見なおして思い直しました。
すなわち、最終回のラストでは、ハルは男子として登校してきています。
だから、そんなハルと伊吹センパイのラブラブな場面があると、それは見かけ上男性どうしの同性愛描写となってしまうわけです。
そうした映像表現が放映されると、やはり性の多様性に理解のない層からはクレームが来るかもしれない――。
そこで、そのようなシーンが明示的に描かれることが避けられたのではないか? というのが私の推理したところであります。

そして、代わって、しっかりと結ばれたのは、レオンくんと もうひとりのIS美和チャンの2人ですね。
悩んだ末 レオンくんに自分がISだと告白した美和チャンに対して、レオンくんはソレでもやっぱり美和チャンが好きとの旨を明言。
これにともなって2人がヒシと熱く抱擁するシーンもしっかり描かれました。
ここは、日頃はフツーの恋愛ドラマに対しては覚めた目で見ているワタシなぞも、ドラマ設定上「男とか女とか、そーゆーものを越えた性別にカンケイない」だと理解できるので、かなり素直に感動できたものです。
反面、深く考えずに見ていれば、このシーンのこの2人、あくまでも男と女に見えるんですね。
だからこそ、ハルと伊吹センパイの分までこの2人に仮託して、ココでこうして描いておくことが可能だったというのは、はたして穿った見方に過ぎるのでしょうか?

恋愛ドラマ大好き層のニーズを満たしつつ、そうした層が内面化している二元的性別観と異性愛主義を脅かさない。
セクシュアルマイノリティの問題を取り上げ、性の多様性を描こうとするテレビドラマにおいても、そうした配慮をしないと制作が難しいのだとしたら、そんな社会状況こそが、やはり問題なのではないでしょうか。


ちなみに、いつもいっしょに見ていた我が娘・満咲ですが、最終回後のコメントは…
「レオンくん、イイ子やぁ~!」

レオンくんが、すこぶる気に入ったようです。
『花咲くいろは』の孝一クンもお気に入りなようなので、まぁある種、想定の範囲内すぎるリアクションでもありますねぇ。

しかし満咲よ。
世界の人々は忘れちゃおらんゾ。
あのハートキャッチプリキュアの最終回の後で私たちが合意した結論を!
http://stream-tomorine3908.blog.so-net.ne.jp/2011-02-27_HcPreCure-Final

思えばドラマの後日談で、ハルがその日の気分で制服を取っかえ引っかえ着て行ってたら、これはまたオモシロかったかもしれませんね。

 

★その他ドラマ『IS』関連のツイッターでのツィートはツイログ
http://twilog.org/tomorine3908tw
ツイログで【IS】や【is_tvtokyo】などにて絞込み検索してみてください

 

◎ハルが全校生徒に向けてカミングアウトするために採った方法は校内放送
しかし、こういうやり方だけがカミングアウトではない……というか、むしろオススメできるやり方ではないので、テレビで描くのには問題があったかも。
私見ながら、カミングアウトは出来る相手からアッサリ……を少しずつ広げていくのが現実的にはベストかと。
また、自分のカミングアウトで世界を変えてやる!みたいに大上段に構えると後でしんどくなるので、あくまでも、今のこの相手との関係が、今より少しハッピーになればイイなくらいの心構えで進めていくのがよいと思います。


◎ちなみにハルが校内放送でカミングアウトした後の、一般生徒の反応――無関心だったり、否定的だったりというのは、じつはもしかしたら番組に対する世間の多数派の視線を、はしなくも表していたのかも…!?


◎作中での主人公周辺の人々も「ISと性同一性障害はどう違うの??」という素朴な疑問を抱いている描写がありましたし、少しセクシュアルマイノリティのことに詳し気味の視聴者にとっても、ソコは知りたいポイントだったかもしれません。
が、残念ながらドラマ中ではそのあたりしっかり解説する余裕はないまま終わってしまいました。
この点、どこかで誰かが補足することは望まれるのですが――――え゛っ、ワタシの仕事!?(^o^;)
ま、とりあえずこの場でカンタンに述べると、両者とも、世間が思っている男とか女といった性別にまつわる「普通」の規準から外れるがゆえに苦しい思いを強いられるという面では、同じセクシュアルマイノリティなわけです。
場合によっては、両者に共通するような悩みも存在しないではありません。
が、一方では、性分化疾患――ドラマでの「IS」は、その身体的な側面が明確な男女二分にそぐわないことに問題が起因するのに対し、性同一性障害は身体的には世間が思っている男女のいずれかには分類可能なものの、それによって割り当てられる性別が本人の希望に反することが問題の発端となるところが異なります。
そうした相違が、両者が社会で直面する各種の困難の細かな差異につながっていることもありえます。
本館の↓「10分でわかる性の多様性講座」↓も参考に
 1:セクシュアルマイノリティの基礎知識
 2:「性別」とセクシュアリティの多様性


 


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