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サボテンの花 その1/君が部屋を出て行ったのは本当にほんの小さな出来事に愛が傷ついたからなのか? [メディア・家族・教育等とジェンダー]

サボテンの花」といえば、財津和夫による往年の名曲ですが、“往年の”とはいえ、1993年にテレビドラマの主題歌として新バージョンがCD発売されているので、さほど[知ってるとトシがバレる度]は高くないかもしれません。

いちおーこの1993年バージョンは、私の現在のウォークマンにも入ってます。

 【デジタルオーディオプレーヤーはやっぱりSONYのウォークマン!】
      
 So-netブログに移転後の正式1号記事なので記念ヨイショ(^o^)丿

基本的には軽やかなメロディラインのミディアムチューンで、歌詞は一般的異性愛主義的男女二元論に即して解するなら、同棲していた彼女をささいな仲たがいから失ってしまった男の悔恨の情が切々と歌われた内容であると言ってよいでしょう。

ちなみにポルノグラフィティの「サボテン」には、この歌へのオマージュが濃厚に感じられますネ。…悪く言う人にはパクりとも評されてたり(^^) 真相は不明ですが。

そして、よくよくJ-POPの歴史を俯瞰すれば、近似したモチーフのものも少なくなく、有名どころでは槇原敬之の「もう恋なんてしない」などもコレに該当するでしょうか。


ただ、昔は私もこれらの楽曲を素直に聞いていたわけですし、あまつさえ1993年なんて時分には、自分自身が男として歌詞中の男のほうに感情移入していたわけですが、今日となっては、日々の生活ジェンダーが女という立ち位置に変わったことに加え、相応に鍛えられたメディアリテラシーのレベルをもってすると、どうもこれらの歌は引っかかります。

つまり、それは例えば標題のようなギモンなのですが、男目線で描かれ、実際に男性によって作詞された歌詞の内容は、どうも一方的・一面的な気がするわけです。
いわば社会の男性サイドで生きている人にとっての“都合のいい歌”になってしまっているのではないか? ということですね。

(※その前に、そもそも同棲していた2人が本当に男と女――異性愛なのか、それ以外の解釈はできないのかというモンダイも、もちろんあるのですが、その点は今回はとりあえず置いといても)

「いゃー、コレはきっと、彼女がいよいよ部屋を出て行くまでには、じつはもっと耐え難いDV《ドメスティック バイオレンス》がいっぱいあったんやデ!」

現在の私としては、やっば聞きながらついついこんなツッコミをつぶやいてしまいますねぇ(^^ゞ。

実際、歌詞を見た限り「サボテンの花」でも家事負担は彼女のほうに重そうだし、「もう恋なんてしない」ではしばしば朝食がまずいと文句をつけていたらしいフシがなきにしもあらず。


一般に、ものすごいド演歌にくらべれば、いわゆるJ-POPの世界はジェンダーバイアス度も低いだろうと考えられがちですし、それはあながちまちがいでもないのですが、それでも油断してはダメですね。

   


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