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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて
ロボットに乗って戦うプリキュアが明らかにした「ケアの倫理」の意義 [メディア・家族・教育等とジェンダー]
分割2クールでオンエアされていた『輪廻のラグランジェ』も2期の最終回までがついに済みました。
輪廻のラグランジェ公式サイト→ http://lag-rin.com/
1期の1~3話の出色の出来栄えによって高まった期待に比して、4話以降の展開にはいささか「?」な部分もありましたが、すべて通して見てトータルで評価するなら、二重丸とはいかないにしても概ね「まるっ!」だったと言えるでしょう。
個人的には…
→1期の4~6話くらいまでは毎回キリウスたちのウォクス奪取作戦と、それを撃退するまどかたちの話にする
→ムギナミのイグニス搭乗もその展開の中で
→6~7話でまどかたちと仲良くなってしまったムギナミの葛藤と、そこへ満を持して地球へやってくるヴィラジュリオ
→ムギナミの「イース→パッション展開」
→8~10話が、実際の7~10話の再構成相当
→で実際の11~12話へ
…といった感じの1期が望ましかったのですが、とりあえずは脳内補正でなんとかします。
また3機のウォクスにはいわゆる属性設定、すなわちアウラは風、リンファは水、イグニスには炎という性質の振り分けがあったはずなのですが、この設定があまり積極的には活用されずじまいだったのも、もったいない気がします。
実際、機体や航跡の色分けぐらいですよねー。
せめてスマイルプリキュアの半分くらいでも、もっとそのテの描写があれば、バトルシーンがより盛り上がったのではないでしょうか?
……あっ、だから、ウォクスの武器はおもにファロスの技術陣によって架装されていましたが、それとは別にオーパーツのコアに由来する「浄化技」か何か(およびそれらが有用なシチュエーション)があればよかったのかもしれませんね。
「アウラ・プレシャスタイフーン!」
「リンファ・ロイヤルブルーウェーブ!」
「イグニス・バーニングホーリーフレイム!」
……みたいな?
まぁ、このような妄想は、ひとえにワタシがこの作品に対してプリキュア的なものを求めていた――、すなわち「異世界からやって来た妖精の不思議な力によって伝説の戦士に変身するのではなくロボットに乗って戦うプリキュア」を期待していたからに他ならないせいではあります。
以前の記事にも書いたとおり、この【 プリキュア的バトルヒロインもの + ガンダム的ロボットアニメ 】という合わせ技に挑んだ『輪廻のラグランジェ』の試みは、高く評価されるべきだと思います。
ただ、少女たちが友情を育みながら自らのそんな大切な日常を脅かす敵と戦うというプリキュア的要素を主眼としてみた場合、この作品が本家プリキュアシリーズにどこまで肉迫できたかという点では若干アヤシイというのも否めません。
また逆に、ロボットアニメとして見た場合は、本来あるべき巨大メカどうしがケレン味たっぷりのバトルを繰り広げる迫力などが、そうした相応に含められているプリキュア的要素の制約によって減殺されてしまっているという一面もなきにしもあらずでした。
そういう意味では、試みとしては意義があったが、その成果は未だ道半ばのまま終わった――。
定石に頼らずに、新しいパースペクティブを拓いて高みを目指すというのは、げに難しいものではあるのでしょう
しかし、それでもこの『輪廻のラグランジェ』が、プリキュア的な少女たちの戦いにロボットを持ち込んだ、逆に言えばロボットアニメにバトルヒロインもののコンセプトを導入した物語を描いてくれたことで、ハッキリしたことがあります。
それは、何らかの力を手にした女の子たちが戦いに身を投じるとき、その論理もしくは倫理はいかなるものであり、専ら男性によって戦いが担われる場合とどこが違うのか?
という点にかかわること。
それがロボットアニメという共通のフォーマットに乗ることによって明確になったのです。
その点を、もう少し整理してみましょう。
通常、変身もしくはロボットと、それによるバトルが描かれるアニメというのは、複数の陣営間での対立~戦争が舞台背景として用意されています。
日本のアニメなどにおいては、そのうちの一方が全面的に絶対悪であるように描かれることは主流ではないはずですが、それでもそこではかなり大上段に構えた人類にとっての正義が、戦いの正当性を根拠付ける論理として立脚されていることもまた珍しくはないでしょう。
しかし正義に則って世界を秩序づけることで平和をもたらそうという発想は、対立する陣営間の主張のぶつかり合いに陥る危険性もまた高いです。
アニメであれば、最終回までに何らかの和解のいとぐちは見つかるのが通例ですが、下手をすると双方のトップの意地の張り合いの果てに、例の『宇宙戦士バルディオス』のような超鬱バッドエンドや、元祖・輪廻アニメ『伝説巨神イデオン』のように全滅エンドに至ってしまうこともないではありません。
少なくとも双方が確信犯的に自分たちこそ正義と思っていて、それぞれの言い分に一理あることが視聴者にも了解可能に描写されている作品の場合、物語の決着のつけ方はじつに難しいものです。
そして現実世界に目を転ずれば、そうしたループにハマってしまい、憎しみと報復の連鎖から抜け出せない紛争事例などは枚挙に難くありません。
これが、いわば【 正義と秩序の論理 】の限界だとも言えます。
翻って、いわゆる女の子アニメでは、たとえ変身とバトルがある作品であっても、主人公らが関わるのが「社会構造的に対立を強いられた陣営間での互いの正義をかけた戦い」であったりはしないです。
現在の『スマイルプリキュア』でも、基本スタンスは「自分たちの平和な日常を守るために、それを侵害しようとする存在を撃退する」であり、これはセーラームーン以降(あるいは以前から)、バトルヒロインものに脈々と続く伝統でもあるようです。
そこで肝要をなしているのは、仲間との関係性の中で相互に配慮しあい、気持ちを尊重しあい、ときに癒しあうことの大切さ。
そしてそんな中で、より多くの人々との間で共感・協調・共生の輪を広げていくこと――。
すなわち【 ケアとキュアの論理 】とでも呼べるものであります。
ただ1990年代のアニメ評では、ジェンダーの観点からセーラームーンに好意的な論調の中でも、この点がマイナス評価されるケースはあったのではないでしょうか。
つまり男の子アニメでは、男性主人公が公の組織に正式に属し世界を脅かす敵と人類の平和のために戦っているのに、女の子アニメでは、たとえ形のうえでは男の子アニメと同じように主人公が変身して悪と戦うにしても、しょせん身近でプライベートな日常世界に矮小化された物語しか与えてもらえていない、天下国家を語る資格があるのは専ら男であり、女性が二級市民として描かれることからは脱却できていない――というわけですね。
しかし、それは一面的な評価に過ぎたと考えることも可能です。
かつてキャロル・ギリガンも著書『もうひとつの声』の中で、「正義の倫理」に対置すべき「ケアの倫理」について述べました。
例えば男の子集団では、遊んでいるときに何かトラブルがあった際、たとえ友人関係にヒビが入るとしても、あくまでもその遊びのルールに従って解決しようとするのですが、これは男の子たちが社会化のプロセスにおいて「正義の倫理」を称揚されるからと考えられます。
ところが同じシチュエーションでも女の子集団では、誰も傷つかないですむ方法を模索して、ときにはルールのほうを変更しようとする傾向が見られるといいます。
昔の男性心理学者たちは、このことに対し、正義感に基いたルールの順守によって秩序を組み立てることがひとつの道徳との観点から、男の子たちの採る方法のほうが発達段階の高いものと評し、女の子たちの態度は劣ったものであるとみなしました。
しかしそこで、女の子たちは男の子たちとは異なる価値規準で行動しているだけであると訴えたのがギリガンです。
すなわち女の子たちは、個別の状況に根ざして相手を思いやることで周囲との関係性を深めようとしているのであり、それはいわば「正義の倫理」ではない「ケアの倫理」なのだという主張だったのです。
もちろん「正義の倫理」と「ケアの倫理」の、どちらが正しいとか優れているということではなく、相補的に運用することが本当は望ましいのでしょう。
しかし、社会全体の特権的中心部が男性メインで構成されがちな構造の中では、このうちの「正義の倫理」のほうがアドバンテージを持ってしまっているのも確かです。
そんな中では、不当に貶められているとも言える「ケアの倫理」の評価をもっと高めていくことも意識されてしかるべきではないでしょうか。
で、ここであらためて『輪廻のラグランジェ』です。
このアニメでも、やはり2つの宇宙勢力がゆえあって敵対関係にあり、一触即発の緊張状態になっています。
地球はそれに巻き込まれる形で物語は進行し、そのために主人公の少女が住む街(千葉県鴨川市)が何度か戦場になってしまったりもするわけです。
二大陣営のそれぞれのトップは、平和を望んでいつつも、国家の安泰とか、国民の安寧への責任とか、国王としての務めだとかいった論理や、何より男どうしのパワーゲーム的な国王としての沽券の競い合いに翻弄され、結果として戦争は回避できず、悲しむ人が出ることを止められません。
ところが、そこで主人公である地球人の少女と二大陣営各々出身の2人の少女との間に、ひょんな経緯から友情が育まれ、「みんなで仲良く暮らしたい」という3人の真摯な願いが生まれます。
「誰にも悲しい思いはさせたくない」
「友達が嬉しいと、自分も嬉しい」
風光明媚な鴨川の街を舞台に、楽しい日常を過ごせるということが、どんなに素晴らしいか!
3機の主役ロボットに搭乗することとなった3人の少女たちは、その願いを強いモチベーションに、大人の男たちが止めることをできないでいる戦争に割って入ります。
そしてやがて、ついには二大陣営を和解へと導くのです。
いかがでしょうか?
これはつまり、【 正義と秩序の論理 】が回避できずに起こしてしまった争いを、【 ケアとキュアの論理 】が解決するプロセスが描写されたということになります。
「正義の倫理」の行き詰まりを、「ケアの倫理」が超克したと言い換えてもよいでしょう。
男の子アニメとしての出自を持つロボットアニメのフォーマットをベースにした上で、女の子向け魔法少女アニメよろしく、主役ロボットのパイロットを全員女性で設定した『輪廻のラグランジェ』の意義は、このように、それぞれが拠って立つ論理・倫理が如何なるものあって、そうして、そのうちの一方が秘めたポテンシャルの大いなる可能性をわかりやすく描いたところにあったと言えます。
なお、「正義の倫理」→【 正義と秩序の論理 】が男性的規範で、「ケアの倫理」→【 ケアとキュアの論理 】は女性的な規範……という単純な割り切りには慎重であるべきなのは言うまでもありません。
たしかにアニメ表現における一種の表象としては、そのように描いたほうがわかりやすいというのもあるでしょう。
また実際の世界が男女二分的に構築されている中では、男性社会と女性社会でそれぞれ異なる規範がデファクトスタンダード化されるということも現実としてはありえます。
それでも、安易な二項対立に回収されるべきではないし、もしもそういう二元論に与してしまったとしたら、それはある意味「ケアの倫理」→【 ケアとキュアの論理 】からは離れてしまうと言ってもよいでしょう。
世の中には、「何が正しいのか?」などと理詰めでばかり考えていると、どうしたらいいか判断に迷うことは多々あります。
そんなときは、あなたの心に響く声――『もうひとつの声』――に耳を傾けてみるとよいのかもしれません。
どうするのが自分にとって心地よいのか。
そんな幸せな気分を、どうやったら多くの人々と互いに共有しあえるのか。
そう考えていくこと、すなわち【 正義と秩序の論理 】よりも【 ケアとキュアの論理 】に添うことで、案外と簡単に答えが見つかるかもしれません。
(次記事も参照)
そう、いちばん大切なのは「義務や正義では動かない」こと、そして「ルールは私の心」なのではないでしょうか?
↑ ↑
まさかのそんな重要テーマソングだった『ジャージ部のうた』はサントラCDに収録
そして2期OP主題歌『マーブル』作詞は待ってました!岩里祐穂さん
◎ギリガンの「ケアの倫理」については、googleで探してみたところ、こちらのサイトなどが簡潔でわかりやすかったです。
http://chikaova.blog123.fc2.com/blog-entry-138.html
かなり細部を切り詰めた記述ですが、その分端的に要点を押さえた説明になっています。
◎全話を見終わってみると『輪廻のラグランジェ』というタイトルで、いかにも意味深そうな雰囲気を醸し出していた「輪廻」という単語は、じつはあまり深読みする必要はありませんでした(たぶん; …仏教用語に詳しい方などからのご教示歓迎)。
むしろ注意すべきは「ラグランジェ」のほう。
これは作中では花の名前ということになっていますが、むろん語源となれば「ラグランジュ点」などで知られる科学者 Joseph-Louis Lagrange の名前が意識されているのは間違いないでしょう。
で、この「ラグランジュ点」、そのなんたるかをガッツリ解説する役目は文系のワタシには荷が重いので、ものすご~~~く雑駁な説明になりますが、要は「宇宙空間における天体どうしの重力のバランスが取れる場所」ということになります。
これはむろん作中での宇宙の二大勢力の対立に巻き込まれた地球の立場を暗示していると解釈できますし、その縮図である主人公ら3人の少女の関係性にも敷衍できるかもしれません。
しかし、複数の天体の力関係の均衡点というのは、社会の中で個々人が自分の立ち位置を調整しながら見つけていく作業のメタファーでもありえます。
そして、そういう個人が集まった社会において、多様な存在のバランスを調整しながら、ひとりひとりの「ラグランジュ点」が確保された共生的な社会関係を築いていく際には、やはり【 ケアとキュアの論理 】が重要な役割を果すことでしょう。
…と考えると、タイトルに「ラグランジェ」とついていたことの意味は、やっぱり深いですね。
あと英題は「 Flower declaration of your heart 」で、直訳すると「あなたの心に花のお告げ」みたいな感じでゼンゼン「輪廻」にも「ラグランジェ」にもならないのですが、これって、お互いの気持ちに寄り添い合うことで、それぞれ自分の心を大切にしていきたいね――という「ケアの倫理」の要諦に則して超意訳するなら、つまりアレですね、【心の花を咲かせよう】!
……………ハートキャッチ・ウォクス!! (^o^;)
◎「心」とか「声を聞く」ってのがじつはさりげなく『輪廻のラグランジェ』における重要キーワードだという考察は、検索で見つけたこちらのサイトに興味深く書かれています。
http://tsukikanade.digiweb.jp/html_anime/lagrange_s2_entry_011.html
それがこのギリガンの『もうひとつの声』と、こんなふうにつながるというのも偶然の妙かもしれません。
◎女の子アニメでの主人公たちの主たる行動原理が「ケアとキュア」なのだとしたら、今日ではバトルヒロインものの代名詞となっている『プリキュア』シリーズが、そもそもプリ「キュア」なのは必然と言えるかもしれませんね。
ちなみに先日10/7放送の『スマイルプリキュア』第34話「一致団結!文化祭でミラクルファッションショー!」は、主人公らが通う中学校の文化祭でのクラスの出し物が多数決でファッションショーになったものの、そのことに頑なに反発するひとりの男子生徒を主人公らがいろいろ慮っていく…というのがストーリー展開の主軸になっているお話でした。
※朝日放送公式サイトの「あらすじ」ページ
http://asahi.co.jp/smile_precure/story/backnum_34.html
民主政治における多数決というのは、多数派意見が正義だというわけではなく、よく話し合って意見の調整が図られた末に最後の手段として便宜的に採用される議決方法だというのが建前です。
しかし学校の文化祭などでは、現実には話し合いのためのホームルームの時間も限られている中では、何かを決めるためには早々に多数決に頼る場面も少なくありません。
そしてもしも、いったん決まったら最後、多数決でみんなで決めたんだから全員従え、異論は認めない……などとなってしまったら、やはり尊重されない人を作ってしまう危険は大きいです。
これがまさに【 正義と秩序の論理 】の限界がごく身近な場でも露呈する代表例でしょう。
しかしスマイルプリキュア34話では、いったんそれを描写した後、その強く反発していた男子生徒がやりたかった内容を取り入れ、、他のファッションショー以外に賛意を示していた生徒の希望もすべて包摂する形でファッションショーの中身が組み立てられ、そうして全員が満足できるようにする――という解決方法が描かれていました。
対立する意見のうちのひとつだけが正義化するのでなく、ちょっと歩み寄ってアイデアを出し合えば誰もが納得できる落とし所はある。
誰かを排除して成り立つ社会などしょせん欺瞞であって、誰も犠牲にしないための知恵と工夫の上にこそ真の幸せは享有可能である。
つまるところ、【 ケアとキュアの論理 】によって対立を力に変える様子が示されたのです。
こうしたことが丁寧に描きこまれる『スマイルプリキュア』は、やはり日本のアニメの良心を体現した作品なのかもしれません。
と………
………………
…思ってたら、その翌週10/14放送の第35話は「プリキュアがロボニナ~ル!?」ですか!?
※朝日放送公式サイトの「あらすじ」ページ
http://asahi.co.jp/smile_precure/story/backnum_35.html
おぃおぃ、ここで本家プリキュアがロボットかよ(^o^;)
案外これはラグりんの3期でアステリアちゃんがウォクスの新しい機体に乗ることになる伏線なんじゃなイカ? きっと名前は「ブロント」、属性は雷で、イメージカラーが黄色なのでゲソ#nitiasa #precure
— 佐倉智美ツイッターから (@tomorine3908tw) 10月 7, 2012
◎領土問題などは、白黒ハッキリしようとすれば戦争で勝負をつけるしかなくなるという、典型的に【 正義と秩序の論理 】では解決できない争議だと言えます。
その意味では、尖閣諸島も竹島問題も、どちらかが犠牲にならず双方が納得できて皆得な解決方法は【 ケアとキュアの論理 】からのみ生まれ出てくるだろうと言えましょう。
自国の領土だという双方の主張は相互に尊重しあいながらも決着は付けずに、まずは資源利用などを共同プロジェクトでシェアしていく……くらいのアイデアを思いつくのは、そんなに難しいことではないはずなんですけどねぇ…。
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残念ながらギリガンの『もうひとつの声』邦訳版は入手困難なようです
(中古を誰かが出品する日もあるかもしれませんが)
図書館で読むか、もしくは英語で原著を!?
なお今回私があらためてインスパイアされた直接のきっかけは、
『「女子」の時代!』のp.30~31での引用部分
この本は他にも「少女マンガ」や「鉄子」など興味深いトピックが…