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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

あなたのとなりにグレーゾーン! [多様なセクシュアリティ]

声優・三ツ矢雄二の人気が再燃しているようです。

我が娘・満咲もスマイルプリキュアのエンディングのクレジットで[ ジョーカー/三ツ矢雄二 ]とあるのを見て、「あっ、グレーゾーンの人やデ!」とのたまうくらいです。

…あぁ、今の若い世代にとっては、つまりそういう認識なんですねぇ(^^)

まぁ三ツ矢雄二の性的クィアネスについては昔から言われてなくはなかったですから、今般ソレが「公然の秘密」~「周知の事実」あたりにまでなってきて、またそのことがフツーに認められて受け入れられる時代になったということなのでしょう。


思えば、かつてワタシが小学生だったとき、『超電磁ロボ コンバトラーV』の第1話で葵豹馬の最初のセリフを聞いた瞬間、その何やら当時のロボットアニメの主役声優の代表格・神谷明などとは明らかにテイストの異なる声に、「ぅわっ、この人、オカマやっ」という感想を抱いたものです。

そして、それからしばらくの間というもの、『コンバトラーV』は何か見るのに抵抗があって避けていました。
きっと自分の心の中の何かに触れられるのが怖かったんだと思います。
(その後、気を取り直して視聴を再開し、合体セットのオモチャも実際には予算等々の事情で入手が叶わなかったものの内心は欲しかったりしました。きっと無意識の中では近所の女の子たちとコンバトラーV合体遊びがしたかったんだと思います。
 ハイ↑一般的社会通念に照らすとかなり何重にも捻れた願望ですねw
なお、『コンバトラーV』の人気ヒロイン・南原ちずるにも心惹かれるものがあったのですが、その心情は当時の他の男子とはちがって、やはり無意識の中では「同じ女の子」として活躍する作中のキャラクターに感情移入していたようなところがあったかもしれません)

数年後には『六神合体ゴッドマーズ』が始まり、そこでの敵方の人気キャラ・マーグの声もまた三ツ矢雄二が演じていたわけですが、そのマーグもまた、繊細な雰囲気の女性的な男性だったので、私としては、ややフクザツな心境で『ゴッドマーズ』を視聴していたものです。

で、その『六神合体ゴッドマーズ』がちょうど人気となっていた私の高校生時代なのですが、なんと当時片思いながら仲良くしていた女の子が、好きな声優:三ツ矢雄二、好きなアニメキャラ:マーグ だったりしたものですから、私の心情の複雑度にも拍車がかかったわけですね。
 (拙著『女子高生になれなかった少年』参照)

まぁ、その女の子は、当時の私に『ストップ!! ひばりくん!』のコミックスを貸してくれたり、さらには放課後に雑誌『JUNE』を読んでたりしたわけなので、いゃ。これって今にして思うと、はてさていったいどういうことなのでしょう!?(^o^;)

三ツ矢雄二からは離れますが、私の大学時代にちょっとだけ付き合った女の子は、当時人気だったアニメ『聖闘士星矢』で最も好きな聖闘士として、メインメンバーの中ではいちばん女性的で、いわば男性キャラながら女性戦士ポジションであるアンドロメダ瞬を挙げていました。
(こちらの声優は堀川亮[現:堀川りょう]で、同作品では三ツ矢雄二は黄金聖闘士の乙女座のシャカの声をあてていましたね)
これも、こうして振り返ると、上述の高校時代に起きた現象のリフレインと読み取ることが可能です。
いゃはや、要するにワタシのクィア度が高いということなんですけどネ(^^ゞ
 (大学時代編も拙著『女子高生になれなかった少年』参照)


話を戻して、そんなわけで昨今の三ツ矢雄二人気には、私としてもいろいろ感慨があるということなのですが、思えば【グレーゾーン】という言い回しはなかなかナイスです。

「男か、さもなくば女か」にしても、何にしても、物事はそんなに白か黒かでスッパリ割り切れるものではない……とは、ミスターチルドレンも4年前に歌ってます。

境界線のあっちでもそっちでもないところがグレーゾーンとして尊重されないとしたら、それはやはり窮屈な世の中なのではないでしょうか。

 

  


 


佐倉満咲、中学校に入学する [今週の佐倉満咲]

さて去る3月に無事に小学校を卒業した我が娘・佐倉満咲(なぜか順番が前後した修学旅行編の記事のほうが人気ですが)ですが、必然的にその後4月には中学校へ入学の運びとなりました。


入学式をめぐるあれこれについては、小学校の卒業式に比して特段の追加言及事項はありません。

お父さんが女の人みたい」なことは、もはやどうしようもないことですから、新しい環境になっても私も自然体で行くしかないです。

幸か不幸かPTAの学級委員を決める厳正なる抽選にも(^^;)ハズレました。

そうして、娘の新しい出会いとそこからはじまる物語に思いを致しながら、あらためて配布された入学式の式次第に掲載されている新入生一覧を眺めます。

この印刷物はクラス分けの発表も兼ねていて、新入生全員の名前が記載されているのですが、それを見ているといろいろ発見はあります。

基本的に今どきの子どもたちですから、なかなか凝った名前も珍しくはないのですが、この今年の中学新1年生やあるいは小学新6年生ってのはちょうど生まれたのが1999年から世紀を越えた2001年あたりなので、名前を考えた親のほうもすっかり頭がミレニアムになっちゃってて、なんかむやみに壮大なDQNネームの一歩手前という危険とけっこう隣り合わせなんですねー。
満咲の新しい学友たちにしても、オマエらどこのアニメキャラだよ!?
 …というようなお名前が少なからず散見されます。
(もちろん同じ小学校からの進学組や、小学校は別れてしまっていた保育園時代の元同級生も複数見受けられました)

で、やっぱり親の方針というのが如実に反映するのか、いかにも男らしい/女らしい名前の子がいる一方で、なかなかそういう性別の観念を越えたような中性的な名前の子もいたりします。

ちなみに満咲と特に親しくなるお友達というのが、名前に関しては後者であることがなぜか多かったりします。
おそらくは、そういう名付けを子どもに対しておこなう → ジェンダーバイアス度が低い親 → に育てられたジェンダーバイアス度が低い子 のほうが、やはり満咲とはソリが合うってことのようです。

そんなふうに思いつつ、あらためて満咲のクラスメートたちの名前を確認していくと……

ん?

「な……、なんじゃこりゃ!?」

な、なんと満咲と同じクラス

まるで


「性同一性障害をテーマにしたドラマの主人公」

みたいな名前の子が


2人もいる~っ!


おぉ神よ

なんということでしょう

まさか我が娘・満咲が性の多様性に関しては
並々ならぬ事情通であることを
知っての配剤なのでしょうか!?

よもやそんな運命が用意されていようとは…

つまりこれは
入学式の後、驚きの展開がっ!
ということなのですか?


………と一瞬ビビリまくったのですが、

その後の状況を見る限りは、単に名前がたまたまソレっぽいというだけのようでした。
(ホッとしたような、ちょっと残念!?なような……)

とはいえ、この件にかかわらず、この先は思春期のド真ん中へ突入していく年代です。
何らかのセクマイ事象がないとは限りません。
(むしろあると見るべき1学級に1人は何らかのセクシュアルマイノリティ生徒がいると思ってくださいと、教職員研修などでは必ず言っているワタシ)

なので、そのときにはミサキさん、ひとつヨロシク頼みますワ(^o^)丿

いずれにせよ今はじまる新しい物語。

てなわけで皆様「今週の佐倉満咲・中学生編」に乞うご期待!


※「性同一性障害をテーマにしたドラマ」では主人公が男女という枠にスッキリ収まらない存在であることを視聴者にわかりやすく提示するために、名前は典型的に男女兼用可能な中性的なものが採用されることが多いイメージがありますが、むろん現実には親は子の出生時にそこまではわからないので、むしろ男らしさ/女らしさに溢れた名前が付けられていることのほうがしばしばです。
それゆえに当人が自分の名前を好きになれずに自己肯定感が下がったり、性別を変えて生活する際に名前が障害になるため、戸籍改名を強く望んだりすることになります。

 

……………そんなふうに思ったりもしながら始まった新学期、現在でははや3週間が経過しました。

今では満咲も、なにやら制服姿もサマになるようになって、新生活にすっかり馴染んでいる様子です。

部活も始めたようで、おおむね毎日が楽しそうな様子には、親としては一安心といったところです。

部活に関しては、やはり「お父さん」のように性別違和とかがあると…

 男の子は体育系クラブのほうがよいというような無言の圧力
 (それなりに仲良い子たちも嬉々としてそれに従う疎外感)
    ↓
 でも男子ばかりになる集団環境はなじめない
 (男子どうしで苦手なスポーツなど最悪)
    ↓
 一方で文化系クラブは事実上女子専用で男子が入り難いものも少なくない
 (茶道や華道とか家庭科部とかも……)
    ↓
 選択肢が非常に限られる
 (すでに漫研とか放送部くらいしか… もしくは下校部^^;)

……なんてことになるのですが、ソレがないうえに、ジェンダーバイアスのしがらみからも発想が自由な満咲は、じつにのびのびと好きな部活を選んだようで、今に始まったことではないですが、ちょっと羨ましいです。
…………いっぺん尾道の神社の階段を抱き合って転がり落ちてやる!(^_^;)

 

でもって、少し落ち着いたタイミングということで、入学説明の書類などを整理したりしていると、服装規定に関するプリントなどもありました。

かつての校内暴力が盛んだったような時代ではもはやないので、私の中学生時代とくらべても、いわゆる服装規定の校則も、全体としてはかなり緩やかです。

まちがっても「男子の髪は眉にかからない耳にかからない襟にかからない」なんて無粋な禁則事項はなく、男子のロン毛もいちおうはOKのように見受けられます。

とはいえ、その「男子」「女子」にまつわる詳細は、若干気になるところです。

思えは中学時代などの私はもちろん校則には苦しめられましたが、それはいわゆる尾崎豊の歌的な意味合いでの自由を束縛するものであるという側面もさることながら、やはり男女で異なるダブルスタンダードのうちの「男子」のほうを有無を言わさず適用されることへの生理的な反発でもあったと、今では思えます。

そんな校則の「男女別」の最新事情は、はたしてどうなっているのでしょうか?

いちおうウチの近所では出席簿が男女混合名簿になった頃合いに、制服が「女子もズボン可」になったりもしているという話で、満咲などは、いったいどんなジェンダーフリーオーラが出ていたのか、制服採寸の日に、業者さんからやたらしつこく「ズボンもありますけどぉ」とアピールされたりもしていました。
もっとも女子のズボンOKとはいっても専用のデザインのものが用意されているわけではなく、男子用として作られているものを流用することになるのであまりカワイクありませんから、余程の事情がある場合でもなければ選びがたい → 選んだことが余程の事情の存在を物語ってしまう → ますます気軽には選べない …んですけどね。

そこで「詳細は生徒手帳」と記されている保護者向けプリントの記述にしたがい、満咲に生徒手帳の当該ページを見せてもらいました。

すると、まずもって、その服装規定について書かれたページというのが、分量的にも3ページほどしかなく、いゃコレじゃ「詳細」じゃないやん! という簡素ぶりなのです。
さすが今どきの校則。

でも、量にかかわらず質がモンダイな場合だってあるわけです。

どれどれ………

  服装:
 標準服を着用する
 スカート丈はひざがかくれる程度…

  頭髪:
 男女ともパーマ・染色は禁止
 髪を束ねるゴム・ピンの色は自由
 ただしリボンや飾りになるものは禁…

  靴下:
 自由
 ストッキングはベージュ系または黒色で無地……

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お、…おおっ!

こっ、これは!!

ものの見事に、「男子は△△」「女子は◆◆」
などとは書いてない

これはスゴイです。

フツー世間一般では「スカート」とか「ストッキング」には【女子の】って枕詞を接頭させたくなっちゃうもんですが、そこをグッとこらえた痕が行間から滲み出てくるようです。

時代は進化した、と言うべきでしょう。

しかし、その真骨頂は標準服の図解のページにこそありました。

 BL120502-02sei_fuku.JPG


……………………。

あぁぁぁ~っ!


こっちが女子で、そっちが男子とかの、
キャプションが付いてねぇ!!


ということは、つまりアレですね。
「服装:標準服を着用する」で、かつその「標準服」がこのような示され方だということは、論理的にはそういうコトなわけじゃないですか。

だからたとえ『ハートキャッチプリキュア』のいつきちゃんでも、あるいは『IS』のハルちゃんであっても、この規程なんだったらば…

「その日その日の気分で、
  どっちでも好きなほうを
 かわるがわる着て
いけたら、
  ソレがいちばんイイ」

…が実現可能なわけです。

家計に余裕があって2種類の制服を用意することに問題がなければ、本当にそうしたって誰からも文句を言われる根拠はないのですから。
(ちなみに残念ながらウチには家計の余裕がありません(爆))


参りました。
これは画期的と言わずしてなんと呼びましょう。

「女子のズボンOK」という噂の真相は、それのみにとどまらない、かような設定だったわけです。

少なくとも、平均的な男女の生徒が通念とは異なる性別用の制服を日常的に選択することは現実ないにしても、例えば性別違和が深刻な生徒を受け入れることになった日に、その要望を叶えるうえで、すでに服装規定上は障壁が存在していないというのは、非常に大きな意義があるでしょう。


そんなこんなで、少しイイ発見をした気分にもなった、我が娘・満咲の中学生ライフの始まりなのでした。

 

◎あと、参観日などや(今年度は委員の選に外れたとはいえ)PTAの用事などで学校を訪れた際、ワタシ的にはやっぱトイレが悩ましかったのですが、今までの小学校に比べて、今度の中学校は、わりと男女兼用多目的トイレが要所要所に設置され開放されている様子なので、私の性別についての認識が異なる複数人を前にしても多少はトイレに行くのが気が楽です。
もっとも他の保護者のみなさんも、そろそろワタシの性別についての認識に関していろいろ頭を捻るのが面倒になってきているようで、もぅこの際「名状しがたいミサキちゃんの親のようなもの」でイイや……となっているフシもなきにしもあらずな昨今です。


 


聖地巡礼をめぐる文化と経済のポリティクス [経済・政治・国際]

アニメの舞台として作品中に登場した実際の場所を探訪する、いわゆる「聖地巡礼」が注目されています。
もちろん「NHK大河ドラマ」をはじめとして実写モノではご当地が盛り上がる現象は以前からあったはずなのですが、やはりここはアニメというのが新しいところなのでしょう。

そこで、先日ワタシが実際にアニメ『輪廻のラグランジェ』の舞台・千葉県鴨川市を探訪してみた体験を元に、少し考察してみます。
(鴨川探訪の基本的な詳細の報告はお知らせブログの記事のほうで
  →「ようこそ鴨川へ!」)


実際に千葉県鴨川市へ行ってみると、体感されるのはやはり経済的な厳しさです。

アニメに登場する印象に比して、リアルの街並みは妙に鄙びているとでも言いましょうか。
アニメの中でも、市街戦の巻き添えで(物理的に)つぶれてしまった店舗が、それに先んじてすでに(経営的に)つぶれてしまっていたために人的被害がなかった……などという描写がありましたが、個人商店のみならず、駅前のイオンが入っているショッピングセンターにしても、どちらかと言えば寂れた印象があったくらいです。

統計的なデータと照らしあわせても、たしかに人口は漸減しており、全国平均と比べても高齢化が進んでいる傾向が見て取れます。

むろんこうした事態は全国的であって、千葉県鴨川市に限らずたいていの地方都市に言えることかもしれません。

この問題に抜本的で長期的視野に立った方策を立案・実施していくのは本来政治の役目なのですが、地方自治レベルではできることが限られ、国政レベルでは各地方の実状を踏まえた動きが取りにくいというジレンマに陥っているきらいもなきにしもあらず。

そんな中で、我が町がアニメの舞台になるということになれば、経済効果を期待する声が上がるのも無理からぬことですし、少ならかぬ成功した前例があると、ウチでも事前に積極的な対応をおこなおうという動きも理解できることではあります。

実際問題、アニメがなければ殊更に行こうとは思わなかったはずのワタシがかように鴨川へ来訪し、おらが丼を食べ、温泉に宿泊しているのですから、経済効果は確かにあるのです。

ただ、地元があまりにもソレを狙いすぎると、訪れる身にすればちょっとイヤラシい感じがするのも事実。

また、商工会など(!?)が先走りすぎて、一般住民の盛り上がりが一様にはついていかないという問題もあるやもしれません。

例えば個人の店先にもポスターが掲示されていたり…

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市民会館にも…

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エントランスにはポスター2枚貼りなのですが…

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このような取り組みが、行政や商工界、一般市民が一体となって連携を取れているかというと、今回の私の訪問で見た限りでは、少なくともハッキリとした成果は確認できませんでした。

この記事を書いている2012年5月現在、『輪廻のラグランジェ』は第1期の放送を終了し7月の第2期待ちなのですが、他方では『夏色キセキ』なるアニメが伊豆の下田を舞台に展開されており、静岡県下田市のほうでもいろいろと「聖地巡礼」を狙った企画に余念がないなど、同様の動きは広がっています。

しかし、上述したような課題としっかり向きあって、丁寧に事を進めるのでなければ、この先大コケする自治体が出てこないか心配は残ると言えるのではないでしょうか。


その一方、今回の鴨川訪問で、私が満足を得られたのは、やはり自分が気に入ったアニメの舞台となった現実の土地を間近に見ることができ、その具体的な実状を身近に体感できたという点です。

特に『輪廻のラグランジェ』の作品中の主人公は、鴨川の町をこよなく愛する、郷土愛に満ちた少女です。
彼女が愛する鴨川とは、いったいどんな場所なのか?
ひとりの少女がなにゆえに、あそこまで熱心に鴨川を守る戦いに勤しめるのか?

そのあたりが強い関心となったのが、そもそもの今般の千葉県鴨川市へ行ってみたいという動機となっていたのです。

しこうして、鴨川の空気に触れ、その街のエートスを感じ、そうして彼女の鴨川愛の一端に自ら体験的に触れることができたというのは、まさに「聖地巡礼」を実践した成果だと言えるでしょう。

いゃ、まさに『輪廻のラグランジェ』主人公・京乃まどかがジャージ部魂で愛する鴨川は、なるほど、美しい山と海に抱かれた平和で豊かな町でした。
行ってみてヨカッタです。

……本来的には聖地巡礼の意義とは、このあたりにあるはずです。

経済効果ばかりに目を奪われず、自分たちの郷土の文化に自信と誇りを持って、来訪者へのホスピタリテイを発揮することが、何よりもまず基本にあるべきだというのは、さて、あたりまえにすぎるでしょうか。


最後に、温泉旅館のロビーなどにも、このようなポスター掲示は見られました。

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何気ないことではありますが、むしろ事情をよく知らない人がこうした様子を見た際、まぁ何かがあるんだなと、無意識の奥に軽く記憶してくれることは、後々思わぬ繋がりとなって生きてくることはありえます。

また、それが「ロボットに乗るのが女の子だというのも今どきのアニメでは普通」という認識にも知らず知らず連なるなら、こうやって広く展開されることのもうひとつの意義ともなってくると言えるでしょう。


安易な経済効果狙いは戒められなければなりませんが、この「聖地巡礼」ブームを上手くとらえて、訪れる人と受け入れる側とその周辺の交流を紡ぎ出せれば、それはお金で測ることができる以上の価値を生み出すことにもなる――。
このことは大いに評価してよいのではないでしょうか。