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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて
名状しがたい性の多様性のようなもの [メディア・家族・教育等とジェンダー]
深夜アニメは画期的な特筆事項に満ちた掘り出し物も多いですが、もっぱらとりあえず気軽に見て楽しい作品も当然少なくありません。
『這いよれ!ニャル子さん』は、どちらかというとその後者としてのテイストが大な番組のはずでした。
簡単に説明すると、学園ドタバタコメディに宇宙SFファンタジー的要素を盛り込んだ、いわば【いまどきの『うる星やつら』】のようなものってところでしょうか。
ただ、平凡な男子高校生の日常が突如宇宙からやって来た女の子によって非日常になってしまうアニメ…という共通項でくくったとき、『這いよれ!ニャル子さん』のどのへんが「いまどき」かと言うと、やはり『うる星やつら』での諸星あたるポジションの主人公・八坂真尋が、いわゆる【草食系男子】なところかもしれません。
もしかして、諸星あたる的な「肉食」っぷりは、例えば今の若者には尾崎豊が理解できないと言われているのと同様に、(たとえ異性愛の男子であっても)共感できるようなスタンスではないのかもしれません。
あと、ニャル子さんによって守られる存在というところに既成のジェンダー秩序に対するズラしもありますし、なぜか声は女性声優さんがアテていますしね。
(『うる星やつら』ではしばしばあたるに電撃攻撃を加えていたのはラムのほうなのに、こちらでは真尋がニャル子をフォークで刺すのがソレに相当する点も、ジェンダー面での逆転と言えるでしょう)
何よりこの主人公・八坂真尋のプロフィールが画面に示されるところで、ちゃんと「彼女なし 彼氏なし」と恋人の有無に関して両方併記されてたところは、さりげなくスゴイことでした。
画像はオンエア録画の表示画面をカメラで撮影
「宇宙には個人情報保護法はないのかーっ!?」
この『ニャル子さん』の世界では、同性愛も異性愛と対等のフツーのことという前提が浸透していて、クー子がニャル子にベタ惚れ、ハス太が真尋に一目惚れってのも、決して二次創作の同人誌のネタでもなんでもなくて公式な設定ですし、これらが性他認上で同性間であること自体はいっさいギャグになっていません。
視聴者も「男女の」「異性愛」を前提としていては、劇中のフクザツな三角関係的人間模様が逆に理解できなくなってしまうという、そういう仕様の作品になっているわけです。
やはり深夜アニメには、ジェンダー(あるいはセクシュアリティ)センシティブな視点で見たとき、旧来の批判が色褪せて見えるほどカッ飛んだ掘り出し物作品があるので侮れないですね。
はたして深夜アニメは既成のジェンダー秩序(およびセクシュアリティ秩序)をどこまで撹乱できうるのか!?
少なくとも、こうしたつくりの物語群を見慣れてくると、逆に、いつまでも【「男女」の異性愛物語】を平然と流し続けているゴールデンタイムのドラマのほうが、むしろ幼稚な「お子様向け」に思えてくるからオモシロイものです。
◎その他ツイッターにてニャル子さん関連ちらほらと…
http://twitter.com/#!/tomorine3908tw/status/192242511996133376
とか
http://twitter.com/#!/tomorine3908tw/status/197660705858650112
とか
(特に「そもそもトランスジェンダー・セクシュアルマイノリティは、『性別は男と女っ!』と思い込んでいる人々にとっては、いわば【這いよる混沌】」…は真理だ(^^)v)
ツイログも検索してみてください
◎そういえば『モーレツ宇宙海賊』でも、17~18話では劇中で(視聴者による百合解釈ではない)正式な同性愛カップルがストーリー上の重要な位置付けで描かれましたが、やはりその2人が女どうしである点には、誰も何も言わずに終わりました。
(ただ、そのうちの1人は元々ボーイッシュなキャラで、しかも当該回ではたまたま話の流れで男装風のコスプレをしていたのは、ある種の「演出上の配慮」だったかもしれません)
◎ゴールデンタイムのドラマも、このところフジテレビ系の「恋愛の月9」が、『ラッキーセブン』とか『鍵のかかった部屋』などと、それぞれ探偵モノ、推理モノで、「恋愛」は後景に退いているので、何らかの地殻変動が起きていると見ることも可能かもしれません。
プリキュアとミソジニー、スマイルからスイートをふりかえる [メディア・家族・教育等とジェンダー]
今年度(2012年度)のプリキュアシリーズ『スマイルプリキュア』なのですが、これは端的に言ってオモシロイです。
→東映アニメーション公式サイト『スマイルプリキュア』
(引用画像はこの公式サイトよりキャプチャ)
各々のキャラが立っていて、ストーリーが勢いよく回っていて、明るく楽しく、日曜日の朝に元気をもらえるアニメに仕上がっています。
放映が始まって久しいのに、前記事の『聖闘士星矢Ω』との関連で触れるようなパターン以外では、今日までメインで記事にする機会がなかったことについては、それだけ急いで指摘せねばならないような問題点もなかったということでよいでしょう。
※ブログ記事はどうしてもワンクッション置いてから書くということもあるので、時期によってはたしかに延び延びになることもあります。
その点ツイッターは相対的にフットワークが軽いシステムなので、例えばプリキュアについてもオンエア当日に感想を述べてたりすることはあります。
→佐倉智美ツイッター
→「ツイログ」ではキーワードで絞り込んだりもできます
ただ、逆に何か評価すべき特筆事項はとなると、このブログ的には「『聖闘士星矢Ω』とパラレル」みたいな話を除いて、作品に内在する特徴で探したとき、なかなか論理的なポイントは見つからないのも事実です。
※その後の展開を受けた考察はこちら↓(2013/02/03)
「スマイルプリキュアのハッピーエンドが見えてきた」
「スマイルプリキュア最終決戦編に見た居場所の社会学」
例えば、
『ハートキャッチプリキュア』の、ひとりひとり自分自身の「心」を大切に育み、自分で自分を好きになろう――というメッセージを打ち出し、ありのままの自分が否定される不幸というものをわかりやすく描いていた点。
特に、キュアサンシャインに変身する「いつき」の「ありのままの自分」を阻害する要素としてジェンダーの問題が取り上げられ、男らしくとか女らしくとかよりも、せいいっぱい生きているありのままの自分が尊いんだと、子どもにもわかりやすく伝えていた点。
あるいは、
『フレッシュプリキュア』でも、超管理社会を敵陣営に据えることで全てを管理される不幸に比べれば悩み傷つきながらも自分で考えて選んでいくことが幸せをゲットする道なんだというメッセージとともに、敵幹部の改心展開を通じたさまざまな深みのある人間ドラマが秀逸だったこと――。
…そういったものを『スマイルプリキュア』に探したとき、現時点では「うーん、何かなぁ??」といった感じなのです。
いちおうは作品の軸として据えられているとおぼしき「バッドエンド/ハッピーエンド」という部分についても、いまひとつ練り込みが不足している印象で、何がバッドエンドでどういうハッピーエンドがハッピーなのかについて、この先キチンと掘り下げて描かれていくのか、一抹の不安は残ったままです。
しかし、それにもかかわらず、オモシロイと感じられ、視聴後はなんとなくハッピーな気分になれていて、来週もまた見たいと思わされるというのは、逆にそれだけの傑作ということでもあるかもしれません。
要はエンターテイメントですから、理屈よりも感性に訴えるものが重要な場合だってあっていいわけです。
だいいち『ハートキャッチ』や『フレッシュ』においてこそ、上述のような高度な評価ポイントが盛り込まれるようになっていましたが、それ以前のプリキュアシリーズでは、まずは例えば「女の子どうしで友情を育みながら戦いの課題に対峙していく」というところが、もうすでにじゅうぶんに評価対象でした。
『スマイルプリキュア』の場合、どちらかというといわゆる「日常系アニメ」のフォーマットを上手に動かす中にプリキュア的プロットも含めるような構成を試みているように読み取れるところもあり、それはそれで意欲的な挑戦とも言えます。
総合的にとらえて、現時点では『スマイルプリキュア』は日曜朝のアニメとして高く評価してよいのではないでしょうか。
そして、「高度な評価ポイントについては特記事項がないが、でもオモシロイからOKな『スマイルプリキュア』」の存在をふまえて、今一度ふりかえると、やはり前シリーズ『スイートプリキュア』が突出して異様な番組だったことが痛感されます。
あの見るたびに覚えた違和感は、いったい何だったのでしょう!?
「高度な評価ポイント」的な観点からの問題点は、たしかに以前の記事「番組自体が不幸のメロディ」や「海原雄山じゃなくても怒るレベル」でもまとめたとおりです。
しかし、そういうものがなくても「視聴者において素直に楽しめる日常系アニメ」は作れるのだとしたら、もうひとつ【スイートプリキュアが気持ち悪かった理由】の核心があるはずです。
それははてさて何なのか?
……そう考えたときに、ふと思い至ったのが、世間での『スイートプリキュア』に対する一般的な評価が『機動戦士ガンダムAGE』の不評と重なる点です。
以前の記事でも書きましたが、それは、制作陣に畑違いの人を連れてきて重要ポストに就けたことが奏効していないとか、シリーズのテンプレートに縛られる中で独自性を出せていないとか、いや逆に伝統あるブランドに胡座をかきすぎたのではとか、ともかく話の流れが不自然、キャラが描けてない、舞台設定に無理が感じられる……といったことです。
ただ、ソレも含めて『機動戦士ガンダムAGE』の最大最悪の問題点はといえば「女性キャラの人格や主体性の描写があまりにもなってない」というところなのではないかというのが私の見立てでした。
詳しくはこれもすでに先日の記事「女性の扱いが酷い機動戦士ガンダムAGEが強いられてるもの」でまとめたとおりですが、これを、スイプリとガンダムAGEには共通点があるということで、ガンダム側からスイートプリキュアに当てはめてみたらどうなるでしょうか??
もしかして、
スイートプリキュアは
「女性が描けてなかった」!?
……………………。
いやいや、まさか、仮にもいわゆる「女の子アニメ」の看板作品となっているプリキュアシリーズにおいて、女の子の人格や主体性が描写ができていないなんて、そんなまるで怪獣映画に怪獣が出てこないみたいなことがあるわけな―――
しかし、あらためてソノ視点で見なおしてみると、結果じつに辻褄が合っちゃうんですねー、コレが!
つまり制作側が「女の子」というものを、いわゆる男性目線におけるミソジニー・女性嫌悪をともなった類型的な捉え方しかできていなかった。
だから初期のつまらない理由でのケンカばっかりでギスギスドロドロした人間関係描写も、女というものはこんなふうに醜い内面の生き物なのが真相さ……という制作側のステレオタイプの発露。
仮にも「しあわせのメロディ」の歌姫を決めるオーディションなのに、まるでライバルのトウシューズに画鋲を入れるかのごとき大昔の少女マンガにしか則っていない妬み嫉み僻み恨み展開になってしまうのは、女の子社会の多面性に理解が及んでいないから。
主人公たちをテンプレに沿って表層的にしか動かすことができず、内面の葛藤やそのプロセスを経た成長を描けなかったのも、女性を一人前の人間と認めていない証拠。
あまつさえ主人公・北条響を入学して1年以上も学校に門が2ヶ所あることに気づきもできない不自然な認識力の持ち主に描いて平気なことなどは、女性の論理的な思考能力というものを過小評価しているから。
………とまぁ、ものすごくうまく説明がついちゃいます。
おそらく制作側の根本の部分に「人間としての女性が嫌い」というような無意識があったのではないでしょうか?
あのえもいわれぬ作品としての気持ち悪さの原因がそういうことだったのだとすれば、これは由々しき問題です。
今や世間的には「女の子に安心して見せられるアニメ」の代表格に育ったプリキュアブランドの一角を占める番組がそんなていたらくでは困ります。
逆に言えば、女児視聴者を念頭に「女の子アニメ」を標榜するのであれば、
§女性という存在への人間的尊重
§女の子社会の豊かな可能性への信頼
§作中の女の子たちへの愛情に裏打ちされた視線
といったものが制作側のコンセンサスとしてベースにあることが必要なのではないでしょうか。
そうであればこそ、女子視聴者をエンパワーし、世の中のジェンダー構造の不条理に負けないスピリットを学べるような内容を紡いでほしいという社会の負託にも応えることができるようになるはずです。
そして、じつはこれらのものがしっかりと担保されているがゆえに、『スマイルプリキュア』のほうは安心して見ていられる番組になっているのかもしれませんし、たとえ表面上は難しいテーマに切り込むことが避けられているようであっても、何かが期待できるアニメ作品と思うことができる結果につながっているのではないでしょうか。
※明快でノリのいい主題歌は↑プリキュア史上最高の出来栄え
(個人の感想です(^^))
◎前記事でネタにした「7月に登場するスマイルプリキュアの追加戦士」ですが、本当のところはどうなのでしょう?
すでに5人編成なのをさらに増やすと収拾がつかない危険性が想像できる一方、あと2人出てくる予想にも相応の論理的根拠があります。
何より「土属性」と「闇属性」のプリキュアを配置しておかないと『聖闘士星矢Ω』とのコラボ映画で困ります(^o^;)違
…てなわけで、ほんのネタですが、追加戦士2人加えて7属性揃えたうえで、現行メンバーの下の名前の漢字(公式には幼児に親しみやすいように?ひらがな表記)も考えてみました(^^)v
キュアハッピー/星空みゆき→満幸輝 …光属性
キュアサニー/日野あかね→明燃 …炎属性
キュアピース/黄瀬やよい→和与雷 …雷属性
キュアマーチ/緑川 なお→直扇 …風属性
キュアビューティ/青木れいか→麗洌 …水(と氷)属性
キュアサークル/珠山 地花(ちか)…土属性
キュアシェイド/安田 憩集(いこい)…闇属性
◎来年度のプリキュア予想というと気が早いかもしれませんが、シリーズが続くとすれば、いつかは星座モチーフのプリキュアもあっておかしくはないはずです。
ただ今期はそれこそ聖闘士星矢Ω(と仮面ライダーフォーゼ)とカブるので避けられた!?(主人公の名前「星空」ってのが企画初期には星座プリキュアが検討されてた名残りとか??)
あと宇宙ブームということで行くと、そろそろ妖精の不思議な力で伝説の戦士に変身するばかりではなく、もう少し科学寄りのプリキュアもあってよいかもしれません。
超常的パワーの源は古代文明のオーパーツ
そこに現代の科学技術を付加して作られた強化ギアを装着して戦う
オーパーツの仕様で装着者は女の子限定
指揮管理するのは政府機関
学校の地下に秘密基地
……とかどうでしょう?
あっ
ソレってアレか!
『戦姫絶唱シンフォギア』(^o^;)
よくよく考えると、『戦姫絶唱シンフォギア』は女の子の友情物語をはじめプリキュアシリーズに期待される要素はしっかり網羅されていますし、音楽モチーフだし、響と奏も出てくるし、敵はノイズだし、いわば清く正しいスイプリのリメイクですナw
我が娘・満咲まで「……………………こっちのほうが本当のスイプリならよかったのに」とか言ってますし。
どうしてこうなった!?
新世代の聖闘士星矢はじまる! [メディア・家族・教育等とジェンダー]
往年の人気アニメ『聖闘士星矢』といえば1980年代後半に大きなムーヴメントとなった作品ですが、なんと今年2012年4月から、その新シリーズ、題して『聖闘士星矢Ω』が始まり、日曜日の朝6時30分から毎週放送されています。
「Ω」はギリシャ文字の「オメガ」です。
続編を表す記号ということなら例えば「#」でも「ドッカ~ン!」でも「ナ・イ・ショ」でもよさそうなものですが(^^;)、元々がギリシャ神話をフィーチャーした物語ゆえのギリシャ文字ということなのでしょう。
前シリーズについては、前記事でも少し触れたとおり、当時親しくしていた女性が『聖闘士星矢』を愛好しており、特に好きなキャラクターが主要登場人物の中でも最も女性的な少年・アンドロメダ瞬だということで、私も後にアニメや原作コミックにハマっていく際には、特にこのアンドロメダ瞬に感情移入しがちだったのですが、その理由はむしろ私自身の性別認識にあったのだということは、今ならわかります。
そんな新シリーズ『聖闘士星矢Ω』、放送開始の直前の3月下旬、はてさてどんな作品なのかと、公式サイトに情報を仕入れにアクセスしてみました。
→東映アニメーション公式サイト『聖闘士星矢Ω』
(引用画像はこの公式サイトよりキャプチャ)
ふむふむ。なるほど。
原作にはないオリジナルストーリーで、主要登場人物も一新。
原作の主人公らの子世代にあたる若者たちが新たに聖闘士となって悪と戦うという設定ですか…。
なかなかイイじゃないですか。
それに世代交代は作中のキャラの世界のみならず、東映アニメーションの制作スタッフレベルでもいわば子世代に引き継がれたようなものですから、アニメ制作の技術革新ともあいまって、絵柄的にも21世紀の作品っぽいスタイリッシュなものに洗練された雰囲気です。
これはなかなかオモシロそう…!
同時に私は思いました。
これって…
ちがいがあるのか!?
……プリキュアと
元々1980年代の『聖闘士星矢』が終了した後しばらくして同じ放送枠で始まったのが『セーラームーン』、そしてそのエートスを東映内で発展的に継承したのがプリキュアシリーズと言えます。
そういう「遺伝子レベル」でも、アニメのジャンル(主人公らが等身大の装着系変身でパワーアップして敵と格闘系の戦いをするというのが基本フォーマット)的にも、じつは結構近い位置に両者はあるはずです。
いやいや、両者は片や男の子アニメ、他方は女の子アニメ、ぜんぜん違う!
という意見もあるかもしれませんが、むしろそんなふうに思い込んでいる人が多いが故に、子どもたちが番組を視聴する周辺環境のほうが異なってしまい、結果としてそれが男の子アニメと女の子アニメの差異を構築しているという側面は見過ごしてはなりません。
実際、動画サイトなどを検索すると、聖闘士星矢の主題歌に乗せてプリキュアシリーズの画像を編集したMAD動画は少なからず見つかります。
両者を構成する諸要素が、相当に互換可能というのは、つまるところ2作品間に本質的な隔絶はないということの証左でもあるでしょう。
オマケに制作スタッフをよく見ると「キャラクターデザイン・総作画監督:馬越嘉彦」。
……ってったらプリキュアシリーズにもかかわられたことがある方ではないですか!
少なくともビジュアル的には、かなりの類似性が見られることになると言ってよいでしょう。
そう思って、さらに公式サイトのキャラ紹介のページを開いてみました。
そこには絵柄的に「性別不明」キャラも少なくない中、ズバリ女性キャラとして主要登場人物の一角を占めると思わしき女聖闘士「ユナ」も紹介されています。
旧シリーズでは歌舞伎の女形よろしく、実質的には女性戦士ポジションであったアンドロメダ瞬も戸籍上は男性というかたちでしたが、今回は時代も進んだことで、メインメンバーに正式に女性を入れるということなのでしょう。
………ただ、だとするとますますプリキュアとのビジュアル面での相似が気になります。
私はおそるおそる「ユナ」の詳細ページをクリックしました。
すると……
だぁーーーっ!
まるっきり
プリキュアじゃん
やっぱり(^o^;)
いや、これはマジじゅうぶんに、この画像を見せながら「これ7月に追加登場する6人目の『スマイルプリキュア』のネタバレ流出情報!」とか言って誰かを担げるレベルです。
参考までに『聖闘士星矢Ω』の2時間後に放送される番組となる『スマイルプリキュア』の同様の公式サイトキャラ紹介ページから、この聖闘士ユナと「風のパワーの戦士」ということで共通項があるキュアマーチを比較対照してみましょう。
……………………。
やはりせいぜい「同じプリキュアシリーズ内の後番組」程度の差異しかありませんねー(^^)v
→東映アニメーション公式サイト『スマイルプリキュア』
(やはり引用画像はこの公式サイトよりキャプチャ)
というわけで、はたしてこの2作品は番組としてネタカブりにならないのか?
…と、部外者ながら心配になると同時に、この2作品が同時期(それも同じ曜日の近接した時間帯)にオンエアされることで、男の子アニメと女の子アニメの間の垣根が、また一段低くなるという成果が得られていくことが、ひそかに期待されるところとなりました。
また、ここまで大枠でのフォーマットを揃えてもらえると、細かなディティールの部分での差異――つまり子どもたちが視聴する周辺環境の差に寄って社会的に構築されている男女差の部分――が比較・分析しやすいという、研究上のメリットも大きいかもしれません。
そして、そのことに資するつくりにならばこそ、『聖闘士星矢Ω』が新世代の聖闘士物語として今日の視聴者に受け継がれていくに足る意義のあるものになるのではないでしょうか。
さて、そんなことを考えながら、先の女聖闘士「ユナ」の紹介ページを見ていて、ふと私は気づきました。
「あれっ?」
そうなのです。
……仮面をつけてない!
じつのところ、アニメ『聖闘士星矢』の旧シリーズや、その元となった車田正美による原作コミックは、やはり20年以上前という時代的な仕様なのでしょうか、けっこう男性中心主義的というか、男性ホモソーシャルな論理に基づく女性の排除がおこなわれているというか、要するにお話としては女性キャラをもっぱら補助的な位置づけにしか置いていなかったのも事実なのです。
それを物語の設定上で支えていたのが、聖闘士になれるのは男性のみで、どうしても女性が聖闘士になるときには「女を捨てる」ために仮面をつけなければならない……というような「掟」だったのです。
はたして、仮面の掟はどうなってしまったのでしょうか?
もしかして1999年には男女共同参画社会基本法もできたことですし、聖闘士の世界でも仮面の掟が撤廃されたなんてことがあったのでしょうか??
ひとしきり考えをめぐらせましたが、やはりこの点が、つまり新シリーズにおける女聖闘士「ユナ」の仮面問題を、どのように掘り下げて描いてくるのかが、まさに『Ω』が新時代の作品として相応しいか否かの試金石となるのではないかと思われました。
しこうして、この女聖闘士「ユナ」登場編である『聖闘士星矢Ω』第3話は注目されるところとなったのです。
§ggさんのコメント(ありがとうございました!)にあるように、この仮面の掟については掘り下げていくと、男性社会やそれと表裏一体の女性への抑圧の構造といろいろつながっているものが見えてきます。
もっとも、こっちから批判するにせよ、向こうがそれに応えるにせよ、聖闘士星矢のアニメ内ではたしかに扱いきれなさそうですねーw。
ただ、東映としては、やはりプリキュア時代の聖闘士星矢を制作するにあたっては、仮面の掟は「なかったこと」にしたかったものの、かと言って旧作&原作ファンに対する一定の説明は必要ということで、その落としどころとして描かれたのが、あの(↓)第3話だったのではないでしょうか。(2012/05/08)
『聖闘士星矢Ω』第3話がはじまってみると、たしかに当初のユナは仮面をつけた状態で登場します。
やはり仮面の掟はいまだにあるようです。
しかしユナ本人はそれに納得しきれず、複雑な思いを抱えている描写です。
そして聖闘士仲間の中でもちょっとイジワル系のキャラ(←お話的にはメインメンバーになれないモブキャラポジション)からは、「女のくせに」とか「女は仮面つけて黙ってろ」みたいな女性蔑視発言も再三投げかけられています。
そうしてついに怒り心頭に発したユナは……… とまぁあまり詳しくあらすじを紹介すると面倒くさいのでネタバレになるので省略しますが、要するにユナ本人が葛藤の末に自分の気持ちに真っ直ぐ向きあって仮面の掟を拒む決意をし、周囲もソレを好意的に認めるに至るのです。
しかもその過程をウジウジグダグタ何週も引っ張らず、第3話の中だけでスッキリ上手くまとめてあり、きっかけを作ったイジワル系キャラも、最後は素直に「負けたゼ」とばかりにユナに一目置く側にとっとと回るのです。
……ぃやーヨカッタです。
かくして仮面ナシ女聖闘士が正式に誕生したわけですが、見てて気持ちのよい展開でしたね。
まさに新時代の聖闘士星矢はこうでなくては! というふうにできていました。
この第3話ならば、今後も期待できると言ってよいと思われました。
なにせ『セーラームーン』さえまだだった旧シリーズとちがって、今般は2時間後にはプリキュアが控えています。
そこでは女の子たちがこともなげに変身して伝説の戦士となり悪と戦っているのです。
なのに片やこっち側の世界では女戦士には面倒な制約の設定があるなんて、そりゃぁ視聴者に受け入れられない時代だということを、東映もよくわかってたということかもしれません。
女は聖闘士に原則なれないなんて設定が幅を利かせていると、プリキュアに飽き足らない女児を視聴者として取り込むうえでの妨げにもなるからマヅいという、営業上の理由も大きいでしょうしね。
プラス、せっかくの美少女キャラが仮面で顔を隠してるなんて誰得ってのもあるでしょう(^^)
というわけで『聖闘士星矢Ω』と『スマイルプリキュア』、日曜朝の2大装着変身系格闘アニメとして、しばらくの間お互いに研鑽しあって視聴者を楽しませてくれるところとなってほしいものです。
……できれば秋あたりにコラボ映画を希望 (^o^)丿
◎『スマイルプリキュア』は初期メンバー5人編成で、5人各々の特徴付けとして、炎のパワーとか風のパワーとかの属性設定が付与されているのですが、どうしたことか『聖闘士星矢Ω』でも各聖闘士たちの小宇宙のパワーに旧シリーズにも原作コミックにもない属性設定が導入され、なんかモノの見事に1対1対応しちゃうのですヨ^^;
キュアハッピー/光/ペガサス光牙
キュアサニー/炎/ライオネット蒼摩
キュアピース/雷/オリオン エデン
キュアマーチ/風/アクィラ ユナ
キュアビューティ/水/ドラゴン龍峰
(追加戦士?)/土/ウルフ栄斗
(追加戦士?)/闇/(敵限定??)
やっぱ東映がコラボ映画を企んでる!?
◎『聖闘士星矢Ω』で女聖闘士も仮面ナシOKになったのに対して、プリキュアシリーズではいまだに男の子がプリキュアになることはできていないので、その点にクレームをつける向きもあるやもしれませんが、この点はいわゆる男女共同参画におけるアファーマティブ・アクションということで正当だと言えます。
つまり、男性キャラが主人公の直近の対等な立場に配置されるとどうしても現実世界のジェンダー秩序の影響を受けるし、下手な恋愛ボケ展開にも陥る危険がある中では、ジェンダー規範に邪魔されずに個々の女性キャラを生き生きと動かせるためには「女の子ばかり」という設定が必要悪とならざるをえないのです。
ただ、前例に鑑みるとプリキュアに変身するのがいわゆる「男装の麗人」だったことはありますし、おそらくそう遠くない将来「男の娘が変身」という事例なら登場するのではないでしょうか。
言ってみれば…
「女の子は誰でもプリキュアになれる!」
↓
「せめて男の娘も可…になりませんか?」
↓
「とりあえず男の子優先プリキュアつくりました(=聖闘士Ω)」
↓ ←イマココ
↓ ↓もうすぐ??
「性別、どうでもよくなりましたっ!!!」
…てな感じ
◎プリキュア×聖闘士星矢のMAD動画としては2012年5月現在……
力作です(^^)
探せば他に『プリキュア5』や劇場版バージョンなどもあるはず
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