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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

その男女共同参画は間違ってる! [メディア・家族・教育等とジェンダー]

本日、インターネットをうろうろしていると、
ソウル市が27日、横断歩道の歩行者信号灯の人物像が男性だけになっているのは『男女差別』で、女性の人物像も入れるべきと訴えたことが明らかとなり、韓国で非難が殺到している
とゆーネタに遭遇しました(^^ゞ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110429-00000031-scn-kr など
続く部分には
ソウル市の提案がインターネットで広がり、ネットユーザーたちの反発が強まった。ネットユーザーらは、ただの『予算の浪費』であり、信号灯で男女を区別するためスカート姿の女性人物像を入れる自体が『本当の男女差別だ』などと非難の声を高めている
とあります。

いやはや、コレはまた、2007年にあったオーストリアのウィーンでの「男女平等」交通標識問題の愚を繰り返していると言わざるを得ないでしょう。

その当時の私の言いたいことは当該記事書いたとおりなのですが、加えて補足しておくと、そもそもこのようなケースで「男女両方入れる」という発想が、結局は典型的な「男」と「女」の二通りのみが正統で、その両者が一対のものであるという、性の多様性への抑圧であり、セクシュアルマイノリティへの差別なんですヨ。

つまり、法務省の人権啓発キャラクター「人KENまもる君・人KENあゆみちゃん」と同じ過ちに陥っているというわけですネ。

というわけで、韓国はソウル市の担当者の方、たまには宮崎県の『ジンケンジャーでも見て勉強してください。

 


チェルノブイリ25周年に思うはジェンダー経済学!? [経済・政治・国際]

過日、2011年4月26日は、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の大事故から25周年。

「アレから、もう四半世紀かぁ…」
「そういや当時はまだ『ソ連』だったよネ」

本来ならば、「ほのぼの」とまで言うと語弊はあろうものの、そうしたちょいと「しみじみ」系のニュースだったはずです。

――なのに、なのに この妙な生々しさはいったい!!

というわけで、福島第一原発の一連の問題が、チェルノブイリと並ぶ「レベル7」に格上げされ、いろいろと比較の俎上にのぼる機会が増えた対象が、おりしもこうした節目を迎えたのは、まさになんというタイミング。

むろん「レベル7」より上はないので、「レベル6」を越えていれば全部「レベル7」なため、同じ「レベル7」どうしでも、その中身には相当の幅があるとも言われます(…参考文献『絶対可憐チルドレン』(^o^;))
単純に福島が「チェルノブイリと同程度の事故!」とは短絡できないでしょう。

とはいえ、もはや福島の名が、スリーマイル島、チェルノブイリとともに歴史の教科書に載る原子力事故になったのは確実です。

願わくは、福島第一が、原発事故三部作の完結編となってほしいものです。

まちがってもこの先、原発事故四天王とか、原発事故八部衆とか、そーゆーのはイヤですから!


したがって、その意味でも、これを機に、原子力に頼らないエネルギーの確保が望まれます。

私もトシをとって人間が丸くなったので(!?)、今ある原発すべてをただちになくせというようなラディカルな主張までする気はもうないです。
が、やはり長期的には、原子力からの脱却をめざしていくべきではないでしょうか。

そういえば、先日の報道では「風力発電で原発40基分の発電可能 環境省試算」ってのがありました。
http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201104210510.html
「原発40基分」は「最大で」にしても、「低い稼働率を考慮しても」「風の強い東北地方では、原発3~11基分が風力でまかなえる計算」だそうです。
しかもこの数字は机上の空論にならないよう「土地利用や技術上の制約を差し引き、さらに事業として採算性を確保できることを条件に加えた」ものだとのこと。


………………。


原発、いらないじゃん!

 (゜レ゜)


まぁ、チェルノブイリの頃は、まだまだ自然エネルギーは既存の発電方法を代替できる実用段階には達していないとされていたので、脱原発のための現実的なハードルが高かったりしたものですが、その後、風力発電にしても、あるいは太陽光発電にしても、技術革新は進んだわけですから、こういう試算も今まで出なかったのがオカシイってことですね。

思えば、昨今は地球温暖化防止と原子力発電の推進が、やたらとセットで語られていたのは、アレはやっぱり、業界の思惑に則ったプロパガンダだったんですねぇ(^_^;)

二酸化炭素を出さないってーだけで「環境にいい」って、冷静に考えれば無理があるにきまってるし、発電にかかるコストも、このような事故の際はもちろん、長期的なメンテナンスや廃棄物処理まで考慮すれば、決して安くはないのは目に見えていますから。


言い換えると、そのような「業界の利権」に沿って経済のメインストリームが動くような構造と、大量のエネルギー消費を前提とした社会システムは表裏一体だったということでしょう。

その背景には、はしなくも、ヘゲモニックなマスキュリニティに基づく男性ホモソーシャルな政財界のありようが透けて見えなくもありません。

かような意味でも、脱原発や代替エネルギーの推進にとどまらず、大量消費型現代文明の自省、そして理想的な社会経済システムの構想においては、「ジェンダーの視点」は、やはり非常に大切なのではないでしょうか。

つまり、いわば、特定の資質を持った人だけが、企業社会の主軸になっておカネが稼げる体制、そしてそういう場へ参画できる人間こそがエラいという価値規準ってのは、きっとヘンなことなんですヨ♪

 

前記事でも福島原発事故の初動の遅れや、情報の公開具合のチェルノブイリとの比較について触れましたが、今回あらためて1986年当時の資料にあたってみると、4月26日から数日たってから事態を持て余したソ連の当局が「西側に助力を要請」したという記述が読み取れました。
(「西側」っていう用語法が冷戦時代っぽいです(^^ゞ)
福島でも、当初は東京電力関係者のみで事態に対処していたものの、手に負えなくなって外部に頼りはじめるまで、どうも数日くらいを要していたのではないでしょうか。
今にして思えば、はじめから、状況を包み隠さずに、ありのままを撮影した動画をユーチューブに上げるとかして、そして、今後の対処法については
[ Yahoo!知恵袋 ]で尋ねる!!
なんて対応をしていれば、2時間を待たずに良回答が集まり、もっと機動的に効果的な対策が可能になって、事態の悪化を食い止められたのではないでしょうか??
例えば↓こんな↓感じ(^o^;)↓
Yahoo!知恵袋 回答受付中の質問 ]
原発事故対応中なんですけど/toden-fukushimq_01さん
福島第一の担当者です。原発事故対応中なんですけど、電源が止まって、冷却機能が働かず困っています。原子炉や使用済み燃料プールの冷却水が減ってきているのをどうすればいいでしょうか? あと格納容器内の圧力も上がってきているのが心配です。中央制御室は停電で機能しておらず、全体の把握ができません。この先どうしたらいいか途方に暮れています。専門知識のある方、至急アドバイスをお願いします。
[ 質問日時:2011/3/12 ]
  ↑  ↑  ↑
※あくまでもパロディに仮託した風刺的提言ということでご理解・ご容赦ください※


 


再び『バルディオス』&原子力災害のメディアリテラシー [経済・政治・国際]

前記事でまた名前がちょっとだけ出た『宇宙戦士バルディオス』ですが、相変わらずアクセス解析によると検索ワードとして強いです。

以前は「ぜんぜん終わってない“最終回”伝説」で関心を持たれることが多かったのでしょうが、ここ最近は「大津波と放射能汚染」が背景にあると察せられる分、タチが悪い社会状況です。


その福島第1原子力発電所のほうは、引き続き予断を許さない現状のようですが、とにもかくにもココが収束しないと、いつまでも一連の東日本大震災が「進行中の災害」であり続けてしまうだけに、やはり初動の後手後手が悔やまれる気がするのは私だけではないのではないでしょうか?

そんな中で、まさに「明日を救う」ために危険な現場での作業に従事されている方々には、感謝と敬意を表したいところです。


一方で、私のように社会学が有効スキルだったりする人間は、役に立てるのはかなりの周辺分野でしかないのですが、それゆえ、報道される情報の読み解きあたりについては、気が付いた点を指摘していくのは使命かもしれません。

もっとも、言いたいことは、すでに他の人が書いていたりするんですけどね。(^^ゞ
→こちらの「原発事故に思うそ3(サブプライムローンとの相似性)
 とか「『正しい情報』を見るアンテナ磨き」とか
 「原発情報の解釈の仕方」とか
  (および、そこからのリンク先)


思えば、1986年のチェルノブイリのとき、日本にいる私たちには、現場でいったい何が起こっているのか具体的にわからず、どうもとてつもなくヤバいみたいな様子のみが報道される中で、不安のうちに数日が過ぎた後、ようやく原発の大事故だと判明したりしたものです(詳細な過程は、今となっては、ちょっとうろ覚えですが)。
ただ、それはモスクワにいたゴルバチョフ大統領(厳密にはその当時の肩書は書記長)にとっても同様だったようで、ソレで業を煮やしたゴルバチョフ氏がペレストロイカを推進するひとつのきっかけになったとも言われています。

つまり、組織に不透明性というか、隠蔽体質があって、そしてそこで何かとてつもなくヤバい事象が起きた際には、情報が出てこない――という構造はあるわけです。

そこに、縦割り行政の縄張り争いみたいなものが加わると、必然的に適切で迅速な初動が妨げられたりする結果になるのでしょう。

私たちは、そんな構造を理解したうえで、これを打破しうる体制づくりを訴えていくことが今後 必要かもしれません。

 

話を『バルディオス』に戻すと、この作品内では、敵の攻撃で南極の氷が融けて大津波が起こったことと、その後の地球が放射能汚染されることは、直接はつながっていません。

◎実際にはそうはいかないことが、アニメから30年後の現実によって、はしなくも証明されてしまったわけでもありますが

戦いが継続され、原子力施設が攻撃を受けたり、最終的に核兵器が使用されるというプロセスが、間に挟まっているのです。

『バルディオス』が制作された1980年度は、ゴルバチョフ氏がペレストロイカをはじめる以前の米ソ冷戦の只中であって、そんな時代における人々の脅威の筆頭は、やはり世界全面戦争や核兵器だったことを反映しているのでしょう。

その点、今日では、そんな世界全面核戦争の危機は遠のいています。

だから逆に、核汚染の脅威は、原子力が平和利用されているはずの発電所に起因するし、そもそも(もちろん今般の津波は地震という自然災害がもたらしたものですが)南極の氷が融けるのも、人類の日々の生活から排出される二酸化炭素などの温室効果ガスの蓄積が原因です。

意地悪く言うなら、戦争さえやめれば危機が来なかった冷戦時代よりも、危機の源泉が人間の日常生活に内在(いわば仏教で言うところの「業」)しているこの21世紀のほうが、問題の根が深いということになるのかもしれません。


しかし、それでも今回の東日本の現場においては、「敵の攻撃」なんてものがないのは、ひとつ良いことであるのも一面の真理です。

あまつさえ、かつて日本に原子爆弾を投下したアメリカ軍も「トモダチ作戦」を展開してくれていたり(^^)。

そうやって、さまざまな国のさまざまな人々が協力し、人類の叡智を集めて、困難に対処するためにひとつになる。

――そんな取り組みの中から何かが生まれるなら、それはきっと、今後の世界をよりよく変えていくものであるのではないでしょうか。