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天王寺璃奈の事例から考える「本当のその人」とは [メディア・家族・教育等とジェンダー]

「スクールアイドル」(という架空の存在)にフォーカスしたコンテンツ『ラブライブ!』については、今までにもこのブログで言及したことがあります。

 → ラブライブとガルパンをフェミニズムが評価すべき5つの理由
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2016-04-09_GP-LoLv-5


またその「ラブライブ!」シリーズのひとつ『ラブライブ!サンシャイン!!』の舞台となった静岡県沼津方面への「聖地巡礼」を、夏の母娘での旅行としておこなった際のレポートなら、お知らせブログのほうで記事にしていたりもします。

 → 夏の旅行2016・伊豆半島に輝く太陽の下につながるキセキを求めて
https://est-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2016-08-25_2016IzuSS


ワタシがチェックしているのはおもにアニメ版なのですが、プロジェクト全体としては、アニメでの声優陣による3次元の場でのアイドルとしてのライブ・公演などのいわゆる2.5次元活動をはじめ、webコンテンツ・アプリ、その他各種グッズなど、幅広くメディアミックス展開されています。

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◎ラブライブ!(および後述のガンダム、プリパラ)画像は公式サイト・公式配信からキャプチャ
 以下当記事中同じ


そんな「ラブライブ!」シリーズのひとつ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の新作アニメ全13話が、2020年の10月から12月にかけて放送・配信されました。

タイトルのとおり今作の舞台は「虹ヶ咲学園」。
東京・お台場にある多数の専門学科を抱えた巨大な学園で人気も高く、従来作のような「廃校の危機」とも無縁な設定です。
したがって、一致団結してスクールアイドルの大会(この大会名が「ラブライブ」だという作中設定なのは、もはや言うまでもないでしょうか)に出場し是が非でも優勝を目指す……という必要にも迫られていません。
現に「ラブライブ」の大会に出るという展開が描かれることもありませんでした。

それゆえに、毎回の物語は「スクールアイドル同好会」のメンバーが各々自分のやりたいスタイルでソロ活動をする、その方向性などに悩んでは解決の道筋を掴んでいくというストーリーが中心。
「ライブシーン」も、従来作のように作中世界で実際にライブが開催されるとは限らず、突然に謎背景チェンジ・謎衣装チェンジが起きて謎PV風にキャラの歌唱シーンが始まるという、いわばアイカツやプリパラ・プリチャンなどでのライブ描写に近い方式が導入されていたりもしました。
それだけ従来作と比べても個々のメンバーの描写にひときわ重心を置いたアニメ作品に仕上げられていたと言えましょう。

 →『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』公式サイト
http://www.lovelive-anime.jp/nijigasaki/

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※以下、当記事中の記述は、アニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の、特に第6話の重要なネタバレを含むと言えます。
ご注意ください


さて、そんな『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の中でも、ワタシが特に注目したメンバーが、当記事タイトルにもある《天王寺璃奈》

公式サイトのキャラ紹介のところにあるビジュアルは、このようになっています。

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……なるほど!

きっとこの子はとても恥ずかしがり屋で、普段からこんなふうに顔を隠して、素顔を見せられずにいたけれど、そんな彼女が、ついに勇気を出して仮面を取り、本当の自分の顔をみんなに見せるというのが、この天王寺璃奈ちゃんの成長をめぐる作劇のクライマックスになるんだろうなぁ……。

はい。

まぁ、最初にこの紹介を見た時点では、フツーはそう思うじゃないですか。

ところがどっこい!!

なんとアニメが始まると、驚くなかれ天王寺璃奈ちゃん、いきなり素顔を見せて登場しているではありませんか!

……これはいったい!?

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つまるところ、この天王寺璃奈をめぐる物語は、天王寺璃奈にスポットが当たったアニメ第6話を中心に、通常の事前予想が立脚するものとは逆転した発想に則ったドラマツルギーで描かれました。

そう。

じつのところ、アニメ版の天王寺璃奈ちゃん、べつに「素顔を他者に見せての日常生活が困難なほど恥ずかしがり屋」だったりするわけではなかったのです。

もちろん、対人関係が得意かというとそうではありません。
むしろコミュニケーションは不得手で、クラスメートと気軽に会話を交わすことも、望んでいながらもなかなかできないことに悩んだりしています。

そんな自分を脱皮して、一歩前へ進みたい。
スクールアイドル同好会に入部して活動を始めたことには、そういう思いもあったことでしょう。

それゆえに思い切って企画した初のソロライブ。
しかし日程が近づくにつれ、あらためて不安も大きく感じられてきます。

自分は本当にライブを通じて何かを伝えられるのか?
何らかのメッセージを体現して、みんなとつながることができるのか??
何より………はたして自分は上手く笑顔になれているのか!?

つまりは、そうだったのです。

天王寺璃奈の葛藤の核心は、自分の顔の表情が上手くつくれず、自分の気持を的確に反映・表現できていないという懊悩。

ついには、翌日に迫ったライブを前に、天王寺璃奈は外出さえままならなくなってしまいますが、そこへ心配して駆けつけた同好会の仲間たちに心情を吐露することを通じて、あることに思い至ります。

「もしかして……………これだ!」

こうして開発されたソリューションが、このデバイス。

要は本人が今その時に示したい表情を、顔面に見立てたディスプレイが代わりに表示してくれるわけです
(こんなハイテク装備をいとも簡単に自作しても不自然でないように天王寺璃奈にはデジタル方面が得意という設定もあります)

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おかげでライブは大成功。

翌日、ライブを観に来てくれていたクラスメートたちから興奮気味に声をかけられ、いろいろ感想も語りたいからお昼ごはんはいっしょに食べようと誘われた天王寺璃奈は、もちろん内心はとても嬉しく感じます。
そして、その気持ちを伝えようと思った天王寺璃奈、やおらスクールバッグからスケッチブックを取り出すと、そこにペンで表情を描き入れると自身の顔の前に掲げ、それを自らの表情としてクラスメートたちに示しながら、誘いを受けるのでした。

以降、この生身の顔の代わりに自分の表情を周囲の他者に示してくれるシステムとして、デジタル版と手書き版は併用されることとなり、「璃奈ちゃんボード」と名付けられたのです。

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と、いうわけで天王寺璃奈、「仮面キャラ」の新機軸として、通例とは真逆のパターンを打ち出した点が、まずはいちじるしく画期的だったということになります。

そうですよね。
通常、「仮面」というものは正体を秘匿するために、つまりは「本当の自分」を隠すために用いられるものだと言えます。

他のフィクション作品での「仮面キャラ」で言えば、例えば『犬神家の一族』の「スケキヨ」などが代表的ですね。
あれは仮面に隠された秘密がストーリー展開の重要なポイントでした。

あるいはアニメ『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル。
あの独特の仮面姿となっているのは、仇討ちの対象であるザビ家に近づくためであり、その素性はじつは……! ということでした。

しかし天王寺璃奈は違います。

逆に、むしろ「本当の自分」を、的確に、思いどおりに、他者に向けて表現するために、素顔では不足する点を補い機能強化することを期して装着したデバイスが「仮面」であり、そのコンセプトは隠す・秘匿するとは対極だったわけです。

いわば天王寺璃奈にとっては、この「仮面キャラ」こそが、対人関係のステージ、コミュニケーションのテーブルである社会的相互行為の場へと、自身が呈示したい自己像として「本当」だということですね。

素顔よりも「仮面キャラ」のほうが「本当の自分」である、というのはなかなか示唆深いです。

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そして――

ここでもう一度、話をぐるっと回してみましょう。

そもそも社会的相互行為の場へ自己を呈示するというのは、その場その場に合わせた、自身が相応しいと思うキャラを、行為し演技するということでもありました。

各場面ごとの役割期待と自分の意志をすり合わせながら、最適なふるまいを調整し、望ましいキャラを演じていくという作業を、互いにおこないあうのが、まさに対人関係がせめぐコミュニケーションの舞台なのです。

「役者は舞台上ではガラスの仮面を着ける」みたいな例え話はわりと多くの人が知るところかもしれませんが、このように人と人とのコミュニケーションをめぐる相互行為についての社会学的知見を当てて見るなら、なんのことはない、私たちの日々の日常生活自体が、じつは場面に応じたガラスの仮面を着けているようなものだということになります。

紫京院ひびきが「しょせんこの世は嘘とまやかし」と断言したのも、要するにそういう趣旨でした。

………いきなり「社会学概論の授業で習ったよね!?」みたいな論理展開になったかと思えば突然『プリパラ』の登場人物の話になって、何じゃ~っ!? という方は、そのあたりコチラに詳述してありますので、ご一読いただけると幸いです。

 → トランスジェンダーに理由は必要ないし「本当の性別」は存在しない
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2015-12-22_RealGenderReason

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そして、上記リンク先でも述べているとおり、人は誰しも各自の生活するいくつもの場面で(例えば学生の場合でも、学校の教室、部活のとき、バイト先、家庭、趣味の集まり……など多岐にわたるでしょう。SNS上など非対面・オンライン・バーチャルな場を含めればさらに増えます)それぞれソコに見合ったキャラを行為し演技しているのだとしたら、ある意味ではすべてが「嘘とまやかし」であるがゆえに、逆説的にいずれもが各場面においては本当のその人だということにもなり、どれが本当でどの自分は偽りなんて峻別は成立しなくなる、ココが重要です。

どの「ガラスの仮面」も、その場面に合わせた「本当の自分」であり、そこでの周囲の人々にとっては、その状態のそのキャラこそがその人にほかならない。

したがって、そこでは明かされていないその人の別の面のほうが「本当」なのではなどと詮索することには、その場のコミュニケーションにとっては何の意義もない。
その場では積極的には開陳されていない別の場でのキャラの存在、そっちのほうが真実だと考えることは、今ここでの社会的相互行為の進行には無関係な無駄な作業だということになるのです。

だからこそ「性別」にかかわる自己呈示についてであれば、その場で女性として周囲とつつがなくやりとりをおこなっているトランスジェンダー女性に対して「でも本当は男なんでしょ?」なんて考えることにも、本質的な意味はないのでした。

(この件については、こっちなども参考になります。

 → 女性用トイレを使える人が女性なのである
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2019-01-26_RelationMtF


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思えば、先ほど例に挙げた『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブル。

このキャラクターについても、たしかに仮面を着けて「正体」を隠しているという作中設定なのですが、しかし、視聴者にとっては、あるいは作中のシャアと関係する人たちにとっても、あの独特の仮面姿で「認めたくないものだな…」などとスカしたセリフを言う、あれがまさにシャア・アズナブルというキャラとしては「本当」なのではありませんか!?

それゆえに続編の『機動戦士Zガンダム「Z」は本来はギリシア文字の[Ζ]で、読みも「ゼータ」ですが、便宜上英字の「ゼット」で表記しています)』に登場したクワトロ・バジーナ。

物語上はシャアが「かつてのシャア・アズナブルである」という経歴を隠して別名義で活動しているという設定で、シャアと同一人物なのは視聴者の(及び作中でシャアと関わりが深かった登場人物たちの)目に明らかなように描かれているのですが、本放送当時、ファンからは戸惑いの声が上がったものです。

なにせあのヘンテコ仮面ではなく近鉄百貨店で980円で買ってきたようなサングラスをかけたビミョ~なビジュアル。
そしてしばしば煮え切らない態度で情けない言動。
あげくZガンダム主人公であるカミーユ・ビダンに「修正」されたら「これが若さか……」なんて涙する。

こんなの「シャア」じゃないっ!

という声が上がるのも無理からぬほど「キャラが変わって」しまっています。

でも、それはそうなのです。
あれはあくまでも「クワトロ・バジーナ」であって、それ以上でもそれ以下でもないのです。
『Zガンダム』という場では、あれぞあの人の姿として「本当」なのです。

であるからして、逆説的に、初代『ガンダム』でのシャア・アズナブルという「仮面キャラ」は、設定上は正体を隠した偽りの姿であったとしても、あの仮面姿でのふるまいこそが「本当」のシャアだった/シャア・アズナブルというキャラとしてはあれが「本当」だったのだ、という事実が浮かび上がるわけです

(クワトロ・バジーナは、正体を秘匿した偽りの姿であるシャアだったというその事実をさらに隠しているという「仮面キャラ」の重層構造にあるという点で、これまた興味深いわけですが; ※近年に制作された『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』などまで視界に入れると「シャア」をめぐってさらにややこしくなるので、本稿ではそのあたりは省略します

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もちろん、個々人が参画する複数の社会関係の場というテーブル上それぞれに呈示する自己としてのアバターを、いわば常に背後でコントローラーを手に操演している「プレゼンターとしての自己」は存在するでしょう。

その「プレゼンターとしての自己」にとって、どの場に呈示しているアバターの自己像がいちばんお気に入りである・いちばん落ち着く、とか、あるいはあのステージで使うこのアバターのキャラは操演するのがしんどい、なんてこともありえます。
こっちのステージではこのキャラでないといけないんだから、あっちのキャラっぽいふるまいを出さないようにしなければ……のような演じ分けの徹底に注意を払うような苦労も。

しかしそんなふうに考えて日々の生活での自己像をマネージメントしている「プレゼンターとしての自己」こそが「本当の自分」というわけでもありますまい。

むしろ、そんな「プレゼンターとしての自己」と、その手持ちの「キャラ」全部、その総体たる全体像こそが、各人の自己として「本当」と言うべきです。

そうして、そんな自己のありよう全体、それぞまさしく、他者との相互行為のうちに獲得されるものであるアイデンティティの依り代であるところの、かけがえのない自分自身の「個性」だということになるでしょう

(なので「璃奈ちゃんボード」に開眼する以前の、あるいは以後であってもそれを使用していない際の天王寺璃奈は間違いだったというわけではなくて、そうやって自分の表情づくりに苦心する状態も含めて「本当」の自分だということになりましょう)


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そんなわけで、じつは人は皆、その場その場に応じたガラスの仮面を被って各場面での「本当の自分」を演じており、そして、べつにそれは自分を偽ることなのではなく、この社会では誰もが互いにおこなっているあたりまえのことなんだよということが詳らかになりました。

そうして、そのことを、可視的な仮面を装着するという手段を自分が望む自己呈示を実現するという企図をもって実行するという、逆説的なプロセスを見せることで、今あらためて再考する契機を提供してくれた天王寺璃奈の存在は、非常に有意義だったと言えるのではないでしょうか。

天王寺璃奈をめぐる作劇からは、以上のようなエッセンスを、ぜひとも汲み取りたいと思います。

◇◇
  

  
◇◇


ところで、「仮面」は英語で「 mask 」、そう「マスク」です。
「マスク」と言えばもちろん、感染予防や花粉対策などを期して鼻や口元を覆うあのアイテムですね。

そして2020年、新型コロナウイルス感染症の流行を機に、人と人とが対面でコミュニケーションをとる際にはマスク装着が必須となってしまったのも周知のとおりです。

その意味では今や、上述したような話とはまったく別の文脈で、人は誰もが「マスク」を着けた状態での他者との社会的相互行為をおこなう……ようになっているわけですね;

むむむ!

したがって、みんながみんな「マスクキャラ」なのも不可避なのですが、顔の半分ほどが覆われ、様子が視覚的に窺えるのは目元くらいだという状況は、表情による意思疎通のための情報量が大きく減殺されていると言えます。

しかし一方で、感染予防効果を突き詰めると、もっと被覆部分が大きいマスク、例えばフルフェイスタイプのマスクなどもどうだろうかという流れも出てきます。

こうした、表情によるコミュニケーションと感染予防という相反するニーズに、どう対処するかというのは、関係各セクターがそれぞれの専門を生かしてアイデアを捻っていくしかないですが、その際に、当記事で取り上げた天王寺璃奈の実践などは、なにがしかのヒントになるのではないでしょうか。

いわゆるラブライバーの趣味の延長で「璃奈ちゃんボード」を実際に製作、3次元に再現したというような事例も、少し検索すればいくつか出てきますが、それよりは「天王寺璃奈」まわりとはワンクッション距離をおいたようなスタンスでも、コンセプトが通底するような試みは進んでいるようです。

 →「e2 mask Z」
 顔の表情をアバターにリアルタイムに反映して表示するデジタルカメン
 http://hiratakelab.jp/e2-maskz/
 公立はこだて未来大学 平田♪竹川研究室ホームページ


こうした研究が進み、リアル「璃奈ちゃんボード」的なものが実用化され、一般化していけば、「顔」の社会的意味も変わり、対人コミュニケーションに新しい時代が拓ける可能性はじゅうぶんにあります。

それはおそらく、天王寺璃奈のようなケースも含め、対人関係において自分の「顔」に何らかの悩みを現在は抱いてしまっている人には、大いに福音となるのではないでしょうか。

◇◇

(2021/02/11)
当記事も踏まえた、「本当の自分」にかかわる別角度の考察として、「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」の別のメンバーに着目した記事も上がりました。

 → 優木せつ菜アイカツプラネットを始めるとき
https://stream-tomorine3908.blog.ss-blog.jp/2021-02-11_NJtoPlanet

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