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人と人とがひかれあう力「引力」 [メディア・家族・教育等とジェンダー]
ふと思い出したのですが、小学生のころに読んだ本の中に、こんなSF小説がありました
(基本的に細部はうろ覚えに立脚した記述です。後日に原典に当たって話のウラは取りましたが、以下 本記事はそれをする以前の時点での認識に基づいたものとして書き進めてあります。あしからずご了承ヲ)。
舞台は、地球から何十光年か先の恒星系へ移住するために船内で人々が生活し、そこで親から子へ何代かにわたってミッションが受け継がれていく「世代宇宙船」。
ところが、途中でトラブルが重なり、そうしたミッションを統括する乗組員が全滅し、残された人々がそこから長い年月を経ると、もはや当初の目的や自分たちが置かれた状況などのいっさいの情報などが失われて、人々はその宇宙船内だけを世界のすべてと認識し、そこがそうした「世代宇宙船」の中なのだということすら知らずに生活するようになってしまいます。
そうして、かつてそんな巨大宇宙船を建造しえた人類の科学的素養もまったく喪失されてしまい、船内はさながら中世のような、迷信や不合理な慣習が横行する頑迷で封建的な社会と化しているのです。
しかし、そんな自らが置かれた環境に疑問を抱いた主人公が、禁忌を破り、立ち入りがタブーとなっているエリアを探検することを繰り返すうちに、真実に肉薄し、自分たちが生きる道を再発見していく……。
だいたいそういう感じのあらすじだったと思います。
小学校の高学年のころは、足しげく図書館に通い(むしろ現在よりも;)、このようなSF小説も新旧洋邦を問わず読み漁っていたものです(『女が少年だったころ』参照ノ)。
なので、こうした記憶もなかなかなつかしいところですが、さて、ではこのSF小説はいったい誰が書いた何という作品だったのでしょうか?
………上記のような断片的記憶から思いつくキーワードをいくつか組み合わせて Google で検索してみると、それは思いのほかアッサリと判明しました
(スゴイな、21世紀のインターネット! (^^) )。
どうやら、ロバート・A・ハインラインの古典的SF名著と言える『宇宙の孤児』だったようです。
おそらくは、当時の小学校の図書室にあったのは福島正実による翻訳のバージョン『さまよう都市宇宙船』だと推察されるので、実際にワタシが読んだのもそちらだと思われますが、いずれにしても原典はハインラインのもので間違いなさそうです。
なので、なるほど、さすがハインライン。
こうやっておぼろげな記憶をたどっただけでも、なかなか深い物語であるのもうなずけます。
自分たちが世界のすべてだと思い込んでいる場が、じつは限られた閉鎖社会であり、その外側にもまた広大な別世界が存在する。
絶対だと信奉している規範や戒律も、そんな限定的な空間のみで通用している設定にすぎず、決して普遍の真理ではない。
だから、さまざまな事柄に疑問を持ち、相対的な視点で真実を探求する姿勢は重要だ……。
そんなことにも思い及ばせられる、非常に示唆に富んだ内容だとも言えます。
現代の地球に生きる私たちが、この作中の宇宙船内の中世的社会を他山の石とすべき点は多いのかもしれません。
ところで、この『宇宙の孤児』。
小学生のときに読んだ際、次のようなエピソードが挿話されていたのも印象に残ったように記憶しています。
科学的な素養が失われ中世化してしまった船内社会では、昔の科学書などはある種の聖典として意味もよくわからないまま読まれているのですが、ある日主人公は、そうした科学書を読んで整理する仕事などを含む部所に配属されます。
そこで主人公が手に取る過去の文献の中には物理学の書物もあり、それらにはニュートンにまつわるあれこれも書いてあるのです。
しかしながら、主人公らにとって可能な世界認識の範疇では、誰もその真の意味はさっぱり理解できません。
当然、「万有引力? ……『引力』っていったい何なんだ!?」というギモンに対しても、主人公らは一人として適正な解に到達できないわけです。
そんな中で、かつて誰かが「万物が引き合う力。……わかった、きっとこれは人と人とが惹かれ合うこと。つまり恋愛感情だ!」と言い出したのでしょう。
この解釈は大勢の人が納得したのか、結果として、主人公らの世代が生きる時代の船内社会では「引力=人と人が惹かれ合う力」がいわば定説となっているのです。
そうして、本当にそうなんだろうかと訝しむ主人公に対し、上司がなだめて言うところは「昔の人ならではの喩え話だろう」………。
いやはや、引力をめぐる物理法則を、このように人間の感情に置き換えてしか解釈できないとはニュートンもびっくりでしょう。
きっと作者ハインラインとしては、それだけ船内社会では現代科学が失われてしまい、どうしようもないほど中世化してしまったことを補強する意図で挟んだ描写だったのではないでしょうか。
少なくとも、私たちにとっては、ここまでの文脈のような意味あいで、「引力」を人の気持ちに関するものであるようにしか解釈できない世の中が到来することは、全力で阻止したいものであることには異論の余地はありません。
……しかし!
ここで話を、ぐるぅぅ~~~っと801光年ほど回して現実の2016年の世界を見てみましょう。
こちら、アニメ『響け!ユーフォニアム2』公式サイトに載っている登場人物相関図なのですが……
……………
_人人人人人人人人人人人人人人人人_
> 人と人とが惹かれ合う力【引力】!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^YY^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
(*^^*)
これまたビックリです。
こんな形で《人と人とがひかれあう力「引力」》の用法が再発見されるとは!
(もちろん、これに先立つ前例もあるのでしょうが、やはりこのアニメ作品での使用は印象的にして画期的)
そして、これは先の事例とは異なり、むしろ人類として進化したとも言えるのではないでしょうか。
一般に、同性どうしの親密な関係性は「友情」だと言われます。
また、それに照応するほどの親密性が異性間で紡がれるには、それが「恋愛」だと解釈されうることが要求されたうえで、その関係性が実現した暁には、「恋愛」は「友情」よりもより上位の関係性だと認定されがちなきらいもないではありません。
そんな中で、同性間の親密度が一定水準を超えているとみなされるようなケースには、「同性どうしなのに友情を越えるあたかも恋愛のような親密度」とばかりに、そこに「同性愛」と名付ける慣習もまた根強いのが現実です。
されど、それは本当に普遍の真理なのでしょうか?
人と人とのインティマシーに対して異性間なら「恋愛」、同性間なら「友情」と解釈するコードなど、便宜的に仮構された社会システムにすぎません。
そもそも、人が誰かに対して希求を禁じ得ない親密欲求の、どこからが「友情」でどこまでが「恋愛」なのか、その明確な境界線が引けるほどに、両者の本質的な差異は何か実在するのでしょうか??
むしろ逆に、両者の差異があるという言説に根拠を与えるために、「同性」かそれとも「異性」かが重要だということにしてあるというのが真相ではありませんか!?
だいいち、「同性」「異性」を峻別するための「女」や「男」の基準もまた、社会的文化的に構築された、ある種の限定的な設定でしかないでしょう。
生殖にかかわる身体タイプの多少の違いを根拠に、出生時点で人に2種類用意されたうちのいずれかのジェンダーを割り振る習慣。そしてそれに立脚して、さまざまな社会的相互行為の規範に男女で異なる基準を求めるなんて、あくまでも限られた閉鎖社会の内部でのみ通用している、いうなれば頑迷で封建的な因習だと言うこともできるでしょう。
そこをふまえると、登場人物相関図の中での特定の間柄に対して、「同性」「異性」「恋愛」「友情」といった悪しき旧弊を超克して、「こいつらはとにかくものすごくひかれあってるんだヨ!」という状況を【引力】と言い表すのは、ものすごく斬新で開明的です。
『響け!ユーフォニアム』は、若い原作者の旧習にとらわれない発想力に端を発し、多数の登場人物の複層的な関係性に新鮮なフレキシビリティがいかんなく発揮されたものになっています。
※昨年のアニメ第1期放送時にも、そのあたりを書いています
→「響けユーフォニアムがエースをねらえよりむしろプリキュアに似てる件!?」
「恋愛」や「友情」といった概念には収まらないような先進的な【引力】による絆が、「同性」「異性」といった指標をも超えて、いくつも結ばれていく物語は、大変に刺激的な魅力に満ちていると言えるでしょう。
これにならい、私たちは今一度、二元的な性別制度と異性愛至上主義の桎梏を逃れて、誰かに惹かれる自分の気持ちをフラットに【引力】なのだと捉えなおしてみることが、より豊かな人間関係を築くために求められているのではないでしょうか。
※なお、この件は日本語ベースで考えると上記のとおりなのですが、ハインライン作の『宇宙の孤児』原文原語表記がどうなっているかについては確認しきれていません。
なんとなく[ gravity ]、つまり筆頭日本語訳では「重力」となる英語を念頭に置いていましたが、もしも、ソコを「引力」が筆頭日本語訳になるように区別して用いられる[ attraction ]なのであれば、むしろソコには「人が人に魅力を感じる」という含意は、そもそも入っていなくもありません。
(その他、佐倉の英語スキルの限界が露呈している点についてはご指摘・ご教示いただけると幸いです m(_ _)m )
◎『宇宙の孤児』に登場するような「世代宇宙船」というのは、限られた船内社会で人々が暮らし 子を産み育てて世代を重ねないといけないというミッションの都合に起因して、そうでない場合よりも余計に同性愛など性的少数者は厳しく弾圧され取り締まられるようになっていそうな不安もなきにしもあらずです。
特に『宇宙の孤児』のように、本来のミッションが忘れられて中世社会化した中では、よりいっそう元々の根拠も失われて、ほとんど狂信的に迫害される危険もあります(そういう状況の批判的な暗喩も描きこまれていたと言えるかもしれません)。
………もっとも、現代の地球での現実のホモフォビア(やトランスフォビア等も含めた「セクマイフォビア」)も、その理由を突き詰めると、あまり事情は変わらないと見ることもできるのではないでしょうか。
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