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ウルトラQはウルトラマンよりも新しい! [メディア・家族・教育等とジェンダー]

ウルトラQはウルトラマンよりも新しい」と言うと、「そんなバカな!」という反論が返ってくることでしょう。

『ウルトラマン』は、日本を代表するヒーローもののひとつとして今日に続く特撮テレビドラマ・ウルトラマンシリーズの第1作であり、1966年7月に放送がスタートしたものです。

一方『ウルトラQ』はそれに先駆ける1966年1月から放送されたもので、怪獣などが登場する特撮テレビドラマとしては、まさに元祖と呼べるウルトラシリーズ最初の作品です。

その意味では『ウルトラQ』のほうが古いというのは疑義の差し挟まる余地のない事実です。

ただ、KBS京都テレビで今年の春まで放送していたデジタルリマスター版の『ウルトラマン』と、それとほぼ入れ替わるように始まって現在放送中の、同様にデジタル処理によって元々の白黒作品をカラー化した「総天然色」版『ウルトラQ』を比較してみると、なぜか妙に新しさを感じるのは後者のほうなのです。

現在放送が済んでいる第14話までを観てみても、最新のデジタル処理で画面が美麗になり、しかもウルトラQは古い作品だというイメージの大きな要因であった「白黒」ではなくなってしまうと、精緻にして大迫力の特撮シーンや、よく練られたストーリー等々は、まったく古さを感じさせないクォリティの高さで、いうなれば、あたかも1960年代を舞台にしているという設定のもとに最近制作された作品であるかのような先進性さえうかがえるものです。


この『ウルトラQ』の「新しさ」「クォリティの高さ」を感じさせる理由のひとつには、もしかしたらストーリーがパターン化していないというのもあるかもしれません。

『ウルトラマン』になると、怪獣などの脅威に対処するのは科学特捜隊という専門の組織であり、ピンチになるとウルトラマンという巨大ヒーローが力を貸してくれるという予定調和が原則として約束されているのが、良くも悪くも物語の枠組みを類型的にしてしまっているわけです。

対して、『ウルトラQ』にはウルトラマンが登場しないがゆえの、先の読めないハラハラドキドキ感があり、かくして視聴者は結末までを固唾を呑んで見守ることになるのです。

もちろん『ウルトラマン』には、今日に続くシリーズの基礎となる「型」を作ったというエポックとして深い意義はありますが、このように見てみると功罪相半ばというか、ある種「ウルトラマン」および「科学特捜隊」という設定が「発明」されたことで失われたものも少なくない気がしてきます。


そして、この『ウルトラマン』と比較対照したときの『ウルトラQ』の先進性が、もっとも顕著に感じられるのは、やはりジェンダーの観点からだったりします。

各々のレギュラー女性登場人物としてキャスティングされ、両作品ともに出演している桜井浩子に視点の軸を置いて比較してみると、そのあたりが非常に明確に立ち現われてきます。

『ウルトラマン』では、科学特捜隊のフジアキコ隊員は、どうしても男社会であるところの公的組織の中の紅一点であり、主たる役割は通信や後方支援、そしてお茶くみといったところが目立ちます。
すなわち「補助・ケア労働」を主に担うことに「女性性」を回収され、ジェンダー構造の中で周縁化された存在になってしまうことで、典型的に「紅一点」問題を体現してしまっているわけです。

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※画像は放送画面(以下当記事中同じ)

◎ウルトラマンシリーズでの怪獣専門チームにおける女性隊員の描かれ方も、もちろん時代とともに変化はしてきていると考えてよいでしょう。シリーズを通した比較などすると論文ひとつ書けるかも!?


ところが同じ桜井浩子が演じていても『ウルトラQ』の江戸川由利子だと、新聞社勤務の有能なカメラマンとして、独自の自立した地位を築いていて主体的に生き生きと行動しているように見受けられるのです。

新聞社内では、いわゆる「職場の花」としての「女の子」扱いされているようには見受けられず、カメラマンという技能持ちの一人前の職業人として、いわば男性社員と対等に扱われています。後方支援業務やお茶くみといった「補助・ケア労働」を、女なんだから当然だとばかりに組織的に担当させられている気配がしないのです。

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カメラマンとしても野心的に被写体を求めてあちこちへ出かけては、怪獣出現などの事態に臨んでも、避難の前に果敢にシャッターを切ることも珍しくありません。そうでない日常題材では、いわゆる報道倫理的にはやや問題含みの悪どい取材も辞さない面さえ描写されますが、これはキャラ描写という観点からはやはり良い意味で1960年代当時としては斬新と言うべきなのではないでしょうか。

その他、状況に応じて臨機応変に提案をおこなったり、場合によっては男性陣に向けてリーダーシップを見せることも。

そうした女性像が、この2016年の感覚をもってしても、最新の作品に登場する女性キャラと比較してほとんど遜色のないものに感じられるのです。

いゃ~、じつに「新しい」。

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加えて、『ウルトラQ』にレギュラー登場する、いわば「いつものチーム」として、江戸川由利子とはよき仲間の関係にある万城目淳(演じるのは佐原健二)が、これまたじつに「イケメン」なのです。

実際、顔も良ければ運動神経も良さそうという、たしかに位置付けとしてはいわゆるイケメン枠の登場人物ですが、しかし因習的な「俺は男だ!」的な考えが滲むイヤラシサもまたありません。
万城目は、小さな航空会社でセスナ機やヘリコプターのパイロットを務めており、その仕事柄、カメラマンの由利子と同行することも多いのですが、その際の由利子との接し方がじつにナチュラルで嫌味がないのです。

しかも怪獣出現などの危険なシチュエーションになると、由利子を庇う動作をものすごくさりげなくおこなったりもしています。もちろん、そこに「強い男である俺様がかよわい女を守ってやるゼ」感は微塵もなく、あくまでも体力面で相対的に弱者な同行者を気遣って自分にできることをできる範囲でしているというニュアンスなのです。

……なんだこの2016年の草食系男子もビックリするような爽やかさの好青年は!?

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で、そんな次第なので、この由利子と万城目の2人の間には「男女」なのに恋愛フラグはいっさい立てられることがありません。
あくまでも、人間どうしとしての信頼関係に基づいた対等なパートナーという位置付けが貫かれようとしています。

序盤の回では、視聴者向けに2人の関係性の説明の台詞として、万城目が偶然に街で由利子に出くわした場面で「記事のネタを追いかけるよりボーイフレンドでも追いかけたらどうだ?」みたいな軽口を言うのですが、これは、ひとつには由利子の男に媚びるより自分がやりがいを感じる仕事を優先している自立した女性であるというキャラ描写でもあるでしょう。
ただ、セリフの内容的には今の基準で判断するとかなりのセクハラ発言とも解釈可能です。そんなプライベートなことまで、とやかく言われる筋合いはありません。

しかし、そのあたり1周まわして見方を変えるとコレ、この2人自体はそういう関係にはなりませんよという「恋愛フラグ立つ前からへし折り発言」だったとも受け取れます(現実には意中の女性にこんなふうに言ってしまう男性もいるだろうというのはまた別の話)

このように「メインヒロイン」と対になる「イケメン」との間に、ラブロマンスの波動が驚くほど感じられないというのも、いちじるしく新しい、今どきの仕様と言えるでしょう。

男女二元的な異性愛至上主義に立脚したロマンティックラブイデオロギーからも距離が置けているとは、なんという画期的な! 『ウルトラQ』、恐ろしい子;(^^)ノ


そんなわけで、やたらと「新しい」この『ウルトラQ』、今しばらく見守りたいところですが、こうした1960年代の作品に期せずして垣間見える2016年的な先駆性から、私たちが学ぶところが大きいのは言うまでもありません。


  


◇◇


◎なぜか女子高校生描写も新しい!?
『ウルトラQ』第13話「ガラダマ」の回では、女子高校生2人組が登場しますが、なぜか彼女たちが着ている制服が妙に今風だったりもします(スカートがそれなりにあえて長いのも、むしろ関西では2016年っぽい)
かの『スケバン刑事』の20年前にあたる映像作品なのにコレだというのは、かなりオシャレな制服だと言わざるをえません。
このあたりももしかすると侮れないポイントなのかもしれません。

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ところでこの2人、作中の状況から推察するに、たぶん都会の高校に通ってて、1人が元住んでた村が沈んでるダムに観光に来てるっぽいのですが、ソレを制服を着て……というのはどういう事情なのでしょうか。
「修学旅行」的なオフィシャルな雰囲気でもなく、むしろプライベートでやってきているという空気感が濃厚です。
もしかして急に「青春18きっぷでどっか旅立ちたくな」った結果ということなのでしょうか!?
………ということは、つまり『響け!ユーフォニアム』でのコレ的な!?!?

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だとすると、まさかの『ウルトラQ』で百合展開だということになります(*^^*)。
深読みに過ぎるというお叱りもあるかもしれませんが、それでもこうした描写が仕込まれている点、やはり『ウルトラQ』の「新し」さなのではないでしょうか。


◎ウルトラマンオーブは真の原点回帰?
そして次の週末、2016年7月9日より、ウルトラシリーズの最新作『ウルトラマン オーブ』の放送が始まります。
この『オーブ』では、いわゆる科学特捜隊的な怪獣対処の専門防衛組織ではなく、民間の調査チームがそれに代わって前景に設定されているとのことです。

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『ウルトラマン ギンガ』でも、(続編の『S』になるまでは)主人公たちは高校生で、怪獣防衛組織は登場せず、全体としては「プリキュア的な『ウルトラマン』」なのが今風で斬新だったわけですが、『オーブ』はそれともまた違った方向性での新機軸をめざしているのかもしれません。
そして、今般の『ウルトラQ』をふまえてソコを捕捉するなら、いわば「ウルトラマンも出てくるウルトラQ」だと解釈することも可能です。
その意味では『ウルトラマンオーブ』は、ウルトラシリーズ最新作にして、シリーズの始祖まで視野に入れた真の原点回帰として、どのように この2016年ならではのものを見せてくれるのかが期待されるとも言えるでしょう。


◇◇


  


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バリルト

個人的には、ウルトラセブンのアンヌ隊員とかも、シリーズの変遷を見るうえで重要な気がしますね。
「アンヌには恋をした」てセブン世代の著名人の方はよく発言していますけど、実際に見てみるとウルトラ警備隊員て肩書が嘘に思えるほど弱弱しいというか、あくまでも「主人公と恋仲になる可愛いヒロイン」の枠に収まってる印象を受けます。
いわば「1960年代当時のジェンダー観が要求する女らしい女」であるからこそ当時人気が出たってタイプじゃないでしょうか。
セブンはクオリティが高い作品ですけど、だからこそ当時の価値観には沿わなけらばならなかったという意味で、「時代を映すヒロイン像」かなと

by バリルト (2016-08-17 11:44) 

tomorine3908-

バリルトさんからウルトラセブンのアンヌ隊員について補足いただきました。
(ありがとうございますノ)

今回はいちおう「桜井浩子に着目する」という枠組みにしたので、アンヌ隊員はじめシリーズ近作の事例まで含めてスルーした形になっていますが、本文中でも触れているとおり、怪獣専門チームにおける女性隊員の描かれ方の経時的な変遷については、やはり研究に値するテーマですね。

by tomorine3908- (2016-08-21 11:39) 

オーバーロード

 ウルトラマンシリーズに登場する防衛組織の女性隊員についてですが、科学特捜隊のフジ隊員はシリーズ全体としては積極的な部類に入る女性だったと思います。その意味では『ウルトラQ』の江戸川由利子のイメージが役者が同じこともあって残っていたのかもしれません。その後のシリーズの女性隊員はどんどん印象が薄くなっていった観があったからです。

 さて、「女子は一人」という構図が初めて変わったのは4作目の『ウルトラマンA(エース)』でした。この時は男女二人でウルトラマンAに変身するという画期的な設定があったために(その他にもレギュラーの敵である異次元人ヤプールの登場とか、怪獣より強い「超獣」とかそれまでとは異なる試みが多かった)、「通常の女性隊員の役回り」を担当するキャラが別に必要になったためでした。しかも、せっかくの新機軸も全うされず、ウルトラマンAに男性の北斗隊員とともに変身していた南隊員は、途中でストーリー展開上無理矢理に除隊させられてしまい(実は「月の世界の人だった」というもの)、その後は北斗の単独変身になっています。
 その理由たるや、男女合体変身では男の子がウルトラマンAごっこをするときに、女の子を一人入れなければならず、しかも「変身後」はその女の子は邪魔になってしまい、やりにくいというものだったと聞きます。男の子向け作品と女の子の関係に関して良くも悪くも興味深い事例だった言えます(結局、女子を排除するように機能してしまっている)。

 男性の補助役、職場の花としての「女の子」ではなく、男性と対等の大人の女性としての女性隊員が最初に登場したのは、実写ではおそらく1990年の『ウルトラマンG(グレート)』が最初でしょう。この作品の防衛組織には二人の女性隊員が登場しますが、どちらも「女の子」ではなく、非常に優秀なメンバーとして描かれています。このような描き方をされたのは、この作品がオーストラリア製でジェンダーバイアスの解消と言う観点において日本より進んでいたからだと考えられます。なお、そのあと作られたアメリカ製の『ウルトラマンパワード』でやっと女性の副隊長が登場しています。

 日本のウルトラマンにおいて90年代後半からようやく女性の描き方が変わってきました。96年の『ウルトラマンティガ』では行動的な女性隊員の他、初めて(現時点唯一)の女性隊長が登場しています。とはいえ、防衛組織のメンバーが男性中心であることは今に至るまで変わっていません。その意味ではウルトラマンシリーズにおいてはようやく女性キャラが周辺的地位を脱し始めたかなというところだと思います(もちろん女性キャラが出ても「名誉男性」みたいになったら意味はないとも思いますが)。

 なお、女性の防衛組織メンバーの数は少ないですが、「女性のウルトラマン」となるとさらに少ないです。ウルトラの母を除けば、『ウルトラマン80』のユリアン、アニメ作品『ウルトラマンUSA』にウルトラウーマンベスくらいしかいません。この点、「マン」とは人ではなく男性を意味するものでしかないという批判が当てはまるかもしれません(まあ、スタッフの間では女性のウルトラマンは描きにくいという発想が強いのでしょうね)。
by オーバーロード (2016-09-29 21:22) 

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