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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

わかりやすくないと性の多様性は理解され得ないのか? [多様なセクシュアリティ]

先日紹介したアニメ『プリパラ』に登場するレオナ・ウェストちゃんですが、その後もつつがなく女の子のアイドルとしてライブ活動を続けています。
(以下、画像は放送配信画面よりキャプチャ)

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作中では、18話の冒頭以降はさしたる説明もなく、「いゃ、レオナはこういう子だから。何か問題ある?」とでも言わんばかりのスタンスで粛々とストーリーが進行し、レオナの性別については半ば忘れられがちな設定のひとつとなっています。

これはすなわち、私が講演などでも強く訴えているところの「性別よりも前に、ありのままのその人が、ごくフツーに受け入れられ認め合えている世界」がまさに体現されているわけで、じつにすばらしいことだと言えます。

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そんなレオナを、幼児雑誌では(性別の件が明らかにされた18話の後のタイミングで)なんと「かわいすぎる男の子」というキャプションで紹介したとのこと。


_人人人人人人人人人人_
> かわいすぎる男の子! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

………ち、ちょっと、意味わかんないんですけど
 ( ゚д゚;)ポカーン

ぃや、マジなところ意味はわかりますが、ソノ言い回しが、そんなにも臆面なく肯定的に使用されたのは、初めて見た気がします。

※これはある意味、自分自身が幼少のころ「かわいすぎる男の子」であり、それが当時は周囲から「男のくせに」と否定的にしか評価されず、ゆえになんとかもっと男らしいかわいすぎない男の子になろうと自分の心を偽ってあがきながら大人になるしかなかったワタシとしては、ものすごく溜飲が下がる思いでもあります(詳しくは『女が少年だったころ明るいトランスジェンダー生活など参照)

またwikipediaでも、レオナの性別の件については深入りせずにストイックな記述になってるのはなかなか良いことでしょう。

結論から言って、ごく自然に(「性同一性障害という病気」のような特例的な意味付けナシに)トランスジェンダルな登場人物がさらっと登場し、それがフツーのこととしてごく自然に振る舞っているところなど、今のところアニメ『プリパラ』のレオナ・ウェストは、メジャーな領域のコンテンツ内ではトランスジェンダー描写の最前線と言えると思います。


そんなアニメ『プリパラ』内でのレオナにかかわる描写、以下少し特に注目したい点を挙げておきましょう。


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例えば、レオナが組んでいるユニット「ドレッシングパフェ」の3人は、画像中央のシオン竹を割ったような性格のイケメン女子、画像右のレオナの姉・ドロシーもイケイケな性格のボクっ娘で、そんな中で最も「女の子らしい」という世間一般のイメージに適合するキャラがレオナだというのは、設定の捻りとしてはまずは第一段階でしょう(捻りというより、むしろ常套な気もしないではないですが)。

アクの強いキャラである2人の間にレオナが入ることで、「ドレッシングパフェ」というユニットが絶妙のバランスで成立しているというのは、それぞれの(男だ女だといった属性以前に)異なる個性が互いに尊重されながら調和することの貴さを教えてくれています。


次に、「ドレッシングパフェ」のいわばライバルチームである「そらみスマイル」のメンバーのひとり北条そふぃは、メンバーの中での立ち位置がレオナとちょうど照応するキャラなのですが、このそふぃとレオナの間に、何やら順調にフラグが進展し、このところ俄然 関係性が深まってきています。

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  (18話)

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  (24話の両ユニット合同ライブで)


ぉおーっ、「キマシタワー」っ!

思わず百合萌えしたくなる展開です。

あー、でも、ちがうちがう!

この人たち「男女カップル」に該当するのでした(^^ゞ

……ただ、こんなふうに、一瞬「百合」だと思ってしまう、その「一瞬」こそが社会的には効力を有しているというのも真理です。

ではその2人を「男女カップル」とする基準はいったいどこにあり、そもそも「女」「男」の定義は何だ?? …という疑問を想起させるだけの力が、つまり、このプリパラの描写は持っているのではないでしょうか。

非常に丁寧で巧いつくりを、ここでも『プリパラ』はしていると思います。

今後2人の関係が、どのように進展していくのかはまだわかりませんが、仮に「男女の」「恋愛関係」になっていくのだとしたら、レオナのような「女性的な男性」の恋愛対象が男性ではなく女性である――そういうこともあるんだ……ということがキッチリ描かれたということにもなるでしょうから、その点でも画期的です。

もちろん「あ、レオナは恋愛対象が女の子なのか。じゃあレオナはやっぱり男の子なんだな」みたいな短絡的な理解はするべきでないのは言うまでもありません。
自分がどうありたいかと、恋愛対象がどんな人かは、まったく独立した別個の事象です。

実際にはこの先、レオナとそふぃの関係は、おそらく明示的な恋愛関係というよりは、そういう要素も包含した親密な友情のように描かれていくのではないかと予測されますし、私としてもそのように期待はするところです。

そうして「そもそも恋愛と友情の境目って何だろう? 両者の本質的な違いってあるの!?」といった疑問さえ視聴者に想起させることを制作側は企図しているのではないかと思います。

いわば視聴者が持っている、「異性間だったら恋愛・同性間だったら友情」などといった硬直した固定観念を、異性/同性」という概念ごと、サイリウムチェ~ンジ! してしまおうという狙いが、特にこのレオナ×そふぃの関係描写にはあるのではないでしょうか。


そして第27話。
ここではじめて「レオナがじつは男の子」という設定を使った小ネタが挟まれます。

この回では、メイン主人公であり「そらみスマイル」の主軸メンバーである真中らぁらちゃんが風邪をひいてしまい、みんながお見舞いに来るという場面があります。

そのとき、らぁらの発汗が激しいことを気にかけたレオナは、らぁらの身体の汗を拭いてあげるという行動に出ます。

そんな細やかな気遣いが自然にできるレオナの優しさに、一同はあらためて感心する

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……のですが、

いや、ちょっと待て!

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そういえばレオナって………!?

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慌てて止めに入る2人の「常識人」(*^_^*)
※ちなみにコノ場面で上述のそふぃは眠りの世界に入ってしまっているので、この「レオナがじつは男の子」であることを皆が再確認するシークエンスには参加していないということになります。この先へ向けてのどういう仕込みなのでしょうか?

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この一連のくだりを見るに、どうやらレオナ本人は基本的に「素」でやってます。
また周りも普段はレオナが男だとかどうとかはまるっきり忘れてると見受けられます。

で、ワンテンポ遅れてようやく気づき、世間一般の「常識」と照らし合わせたら問題じゃん……と(^^ゞ

要は、自分たちの感覚に基づくならぜんぜんOKなことと「世間一般の常識」が衝突したために、場にいた比較的「常識人」な役回りのキャラが「常識的」な行動に出たという、そういうシーンなんだと言えます。

つまり、この『プリパラ』の世界では、レオナはあくまでも性別をめぐる自己のありように対して深く意識せずに自然体でいるし、周囲も普段はそれをまったくあたりまえのことと受けとめて、日常の社会関係が営まれてるという様子が、はしなくもこのシーンに表れています。

本当に「性別よりも、ありのままのその人を認め合える」が実践されているわけですね。

逆に言えば、現実世界で「性同一性障害」などによるトランスジェンダーな人がいる場合に、周囲がどう対応したらよいのかのヒントもここにあります。

常日頃はプリパラアニメ内のように、ソレが当たり前のこととしてごくフツーに「ありのまま」を受けとめてもらえれば、いちばんラクなのです。

ただ、トランスジェンダーの存在は、この社会の男女二元的な「世間一般の常識」とは往々にして摩擦が生じます。
そんな個別の局面は、具体的なケースごとに、みんなで考えて知恵を出し合ってウマい折り合いの付け方を見つけていくしかない。
そういうことですね。
(プリパラアニメ内の上述の事例も、いわば最善ではないにしても緊急避難的にひとつの「折り合い」を求めた行動だったということになるでしょう)

あと『プリパラ』アニメにおいては、上記のシーンは、(もしかしたら今後の展開の中ではレオナの性別をめぐってのクリティカルなエピソードが描かれる、そこへ向けての仕込みのひとつな可能性もありますが)あくまでもこの回のお話の本筋には関わらない短い挿話となっています。
例えば1983年にアニメ化された『ストップひばりくん』が、いわば全編がこの種のネタを主軸に組み立てられていた「ラブコメ」なのとは、まさに対照的なのではないでしょうか。(いうなれば、『ひばりくん』などでは「こんなにカワイイ子がじつは男!」という事実を視聴者と共有しギャグとして昇華するための描写が重ねられている――このメソッドは古い作品にかぎらず昨年アニメ化された『ひめゴト』でも採用されている、いわば「男の娘モノ」の定石――のに対し、『プリパラ』のこのシークエンスではレオナの性別のことを、むしろ「普段はみんな忘れてる」ことのほうを示す意図があったのでは?)


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このように、アニメ『プリパラ』のレオナ・ウェストの性別にかかわる描写は、ごく自然でさりげなく、それが「普通」であり、原則として何も問題がないものとして進められています。

くり返しになりますが、これは、性の多様性が当たり前のものとして認められている様子が描かれているということであり、セクシュアリティにかかわるノーマライゼーションの究極形態に近いものが提示されているということでもあります。

土曜の朝の幼児向けアニメという枠組みの範疇を守りながら、ここまで先進的なトランスジェンダー描写を実現したアニメ『プリパラ』の手法は、高く評価されるべきだと私は思います。


   


ただ、こうした『プリパラ』のアプローチには欠点もあります。

なんといっても「わかりにくい」。

作中で、レオナの性別についてさしたる説明が何もない

にもかかわらず、
「でも、べつにレオナはレオナなんだから、コレでぜんぜんイイじゃん!」
……で済まされようとしているわけです。

いわば時代の数歩先を行くやり方です。

平均的な視聴者は理解できない危険性もあります
(それこそ、頭の柔らかい子どもなら、そのまま素直に受け入れても、いっしょに観ている親世代が「??」となりかねません)


では、どうするのか?

ちょうど、アニメ『プリパラ』18話の少し後に、TBS系列のドラマ『ごめんね青春』でも、「女の子になりたい男子生徒」をめぐるエピソードにフォーカスした回が放映されました。

このドラマは高校を舞台にした学園モノで、経営難のおり男子校と女子校が合併することになって……という、そもそもが制作側に相応のジェンダー関連の造詣の深さが必要な基本設定のものだったので、はたしてソコからさらに一歩踏み込んだ性的少数者というデリケートな問題まで扱って、本当に上手くまとまるのか!? という点で不安もありました。

ただ蓋を開けてみると、相応にしっかり取材され誠実に作られた内容に仕上がっており、2014年のテレビドラマとしては学校トランスジェンダーの問題に適切に迫ったものではありました。

とはいえ、件の「女の子になりたい男子生徒」については、「心と身体の性別が一致しない性同一性障害」なので「身体は男の子だけど、心は女の子」というような思い切り「わかりやすい」説明を採用。
この枠組みでトランスジェンダーを理解しようとすることは、多くの事柄を切り捨ててしまうのですが、現状ではゴールデンタイムのテレビドラマで取り上げるには、これが限界なのでしょう。

ドラマの全体像と見比べても、「男らしさ」「女らしさ」については、まずソレは存在するという前提で物語が組み立てられていて、「男らしさ」「女らしさ」ってそもそも何だろう、意味はあるのか? という問い直しが、平素からどのくらい意識して作劇されているのかについては、私見ながらいささか疑問符は付きました。

もちろん、たとえそうであってもゴールデンの高視聴率番組でセクシュアルマイノリティが取り上げられることに意義がある……というのも一理です。

また何より、「お茶の間」で予備知識なく視聴していた人にもわかりやすく、「病気」で「障害」なんだから偏見で差別してはいけない……と、とりあえず理解してもらうには最善の方策だというのも現実です。

理想ばかり掲げて現実を見ないのでは足もとを掬われます。

そう考えれば、このテレビドラマ『ごめんね青春』でのトランスジェンダー生徒の描き方こそが、時代の歩みと歩調を合わせた(もしかしたら「0.3歩先」くらい??)、平均的視聴者の理解のチャンネルにちょうどストライクな最適アプローチということにもなるのでしょう。

必要に応じて、このような「相手が受けやすいボール」を投げることも、ひとつ戦術としてはアリです。


しかし反面、この理解のされ方だと、あくまでも問題は性同一性障害者本人に帰属していて、周囲の「普通の人々」が強く内面化している男女二元的な性別観念(やソレに基づく異性愛主義)は微動だにせずに温存されてしまいかねないという問題もあります。

視聴者にとってはしょせん他人事
自分は「普通」。これはテレビの中のどこか遠い世界の話
かわいそうな「病気」の「障害者」への上から目線。
娯楽として消費して終わり……にもなりかねません。

社会をよりよく変革することを目指す戦略としては、これでは拙い。

現実にばかり囚われて理想を見失って何処にも辿り着けません


ところがプリパラのレオナの場合は、そういう「わかりやすい」説明が一切ないので、視聴者は不安となり、落ち着けなくなります。
……そう、「普通の人」である視聴者のほうが(←ココ重要)「不安」と「落ち着かなさ」の当事者となるのです。

そして…

「レオナって男? いゃそれとも女と言うべきなのか??」
  ↓
「でも、そうなると男とか女とか、いったい何を基準に言われてるの?」
  ↓
「結局レオナはいったいどういう存在なのだろう?」
  ↓
「そもそも男女でいろいろ違わないといけないのはなぜ!?
  ↓
性別で人の役割を分けることって妥当なの?」

…という具合に、視聴者の観念を激しく揺さぶり、以て社会のジェンダー構造自体を撹乱する効果が発生します。

これにより、セクシュアルマイノリティの存在も、「本人が普通でない人達なのだ」という位置付けから、社会全体の捉え方の問題として、社会の構成員全員で再考すべき案件に置き換わります。
それはやはり、すべての人がありのままに生きやすい社会につながることであり、意義は大きいはずです。

そしてそのあたり『プリパラ』制作陣は、かなりよくわかってコトを進めているようにも感じられます。


願わくは、近い将来において、こうしたトランスジェンダーなどセクシュアルマイノリティについての「わかりにくい説明」こそが理解されやすくなる、そういう日が来てほしいものです。


◎今般の『ごめんね青春』で、このテーマを扱う実写映像作品において、ひとつ従来は避けられがちだった画期的な点を言えば、「MtFの男子生徒」役に男性俳優を配役して描いたことでしょう
MtFもFtMも女性俳優なことが多い
「男性」のノンパス女装なんて「キモい」という反応がまだまだ卓越的かもしれない現状で、あるていど保守的な人でも嫌悪感なく見ることができる絶妙の線上で上手いこと映像化していたのは、やはりこの種の題材が扱われる前例も増えて、演出のノウハウが成熟してきた成果かもしれません(思えばあの『金八先生』からもう10年以上になります)
逆に、アニメというのは実写ではないゆえにこの問題からある程度は距離を置けることもあり、さすがの『プリパラ』も、レオナのビジュアルについては基本的にまったくの女の子として設定しており、現実のトランスジェンダーの見た目の(「パス」をめぐる)問題は今のところスルーしている形になっています。


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コメント 6

コメントの受付は締め切りました
べにすずめ

開けましておめでとうございます←遅い
Twitterではいつもお世話になっております。

そういえば、プリンセス・トヨトミという映画にも、MtFの性同一性障害の子が出てくるのですが、演じてたのは男の子だった気がしますよ。
同じ宮藤官九郎脚本で、池袋ウエストゲートパークにもFtMの子が出てましたが、こちらも男の子だったような。
ご参考まで。

今年もよろしくお願いします。
by べにすずめ (2015-01-20 00:34) 

tomorine3908-

プリンセストヨトミについては失念してました;
が、聞いたところによると(観てません;)、かなり問題のある(!?)描かれ方だったという説もあるので、そのあたりとも関連しているのかも…。
個人的にはやはり、視聴者が「普通」じゃないと思う存在が作中では「普通」に扱われている描写というのは、もっと増えるべきと思うのですが、MtFの場合、そういう描き方をするには、やはり「パス」にまつわる諸問題はスルーせざるをえない現状なのが難しいところかもしれません
by tomorine3908- (2015-01-21 13:21) 

たむらむら

はじめまして。私はセクシャルマイノリティーでは無いですが、興味深いエントリですね。
プリパラは確かに次世代的な感覚がちりばめられているように思います。プリパラの表現手法やその受容の土台となってるのは18禁含めたアニメ萌え文化が築いてきたテンプレ的手法やフリーダムな風土なのは言うまでもありませんが、それがこのような難しい現代の社会問題の橋渡しに一躍買う事になるとは、人間の文化というものは面白いと改めて思いました。
by たむらむら (2015-05-09 23:10) 

tomorine3908-

たむらむら さん
コメント承認に時間がかかってしまってスミマセン;
おっしゃるとおり、プリパラは引き続き注目です
by tomorine3908- (2015-05-15 01:05) 

オーバーロード

 『プリパラ』のレオナ・ウェストについては、私は当初普通に女の子だと思っていました。「レオナは実は男の子では?」という意見は耳にしていたのですが、その根拠たるや「女子キャラにはあるはずのまつ毛がない」程度でしたから、信用していませんでした。だから、本当に男の子だったと知った時には呆然としたものです。
 ですが、彼の行動や態度が全く問題視されず、ありのまま受け入れられていることは、非常に進んだ描写であると私も思いますし、素晴らしいと考えます。一昔前の作品であればレオナのように「女の子っぽい男の子」というのは「異常」な存在であり、「男らしく」矯正するという展開になってしまったかもしれません(それこそ『魁男塾』に登場するような「男の中の男」に)。また、姉のドロシーの方だって「女の子らしい女の子」になるようにストーリーが組まれていたでしょう。もしも、上記したような展開、昔、国語の教科書に載っていた『どろんこ祭り』の現代版のようなストーリーになってしまったら、『プリパラ』は魅力ある作品ではなくなっていたと思います。

 『プリパラ』については昨年に始まる前にも印象に残ったことがありました。この作品は前身のプリティーリズムシリーズとの間に三か月ほどブランクがあったのですが(作風がずいぶん違ったためであろう)、番組開始前に主人公の真中らあらの衣装デザインを視聴者の子ども達から募集するという企画がありました。私が少し驚いたのは最終選考に残った10人のうち2人が男の子だったこと。幼児というとある意味一番性別によって観る作品が分かれてしまう世代ですが、『プリパラ』に関しては始まる前からその壁を壊しつつあったというわけです(なお、その功績は前番組の『プリティーリズム レインボーライブ』にもあったようである)。小さな男の子が恥ずかしがることなく「女の子向け」作品を支持するとは、「時代は変わったかも」とうれしくなりました。
 そういえばかつてテレビでプリキュアのイベントの様子を見たとき、観客の子ども達の10~15人に1人は男の子だったの見て驚いたことがありました。もっとも、プリキュアの場合は実質は「ヒーロー番組」なのでまだ男の子が入りやすい側面もあります。これに対して、『プリパラ』の場合は「歌とダンスと可愛い衣装」がメインですから、なおさらハードルが高いと思うので、価値は高いと思います。

 ただ、バックラッシュの危険もないわけではない。実際、『プリパラ』に関しては「子ども向けの作品にあのような「変態」を出すとは何事か」という意見を目にしたことがあります。今さらレオナが「男っぽく」なるとは考えにくいですが、注意も必要でしょう。
by オーバーロード (2015-06-25 16:44) 

tomorine3908-

オーバーロードさまからのコメント、非常に的確でありがたく存じます。
レオナとドロシーについては、まさに作中では誰も「逆ならよかったのに」とは言っている形跡がないのが、プリパラのスゴイところだと思います。『とりかえばや物語』のような古典さえ超克したと言えるかもしれません。
バックラッシュについてはプリパラあたりもかなり注意を払ってアニメを作っていっているようには思いますが、油断はできないですね。
らぁらの衣装デザイン公募の件は、私も把握していませんでした。たしかに「プリキュアの武器アイテム玩具に関心を示す男児」以上に歓迎すべき傾向でしょう

by tomorine3908- (2015-06-25 22:00) 

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