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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて
桃子ちゃんの鬼退治 [メディア・家族・教育等とジェンダー]
過日、昔の新聞の切り抜きを整理していると、2000年5月22日の朝日新聞の「アメリカのトランスジェンダー活動家、ジェイムズ・グリーン氏が来日」を伝える紙面が出てきました。
語られている内容は今読んでも共感できるものです。
そして、さすがのジェイムズ・グリーン氏(FtM)、「ただの毛深いオッサン」にしか見えないのはさすがというべきでしょう(^^)。
てゆーか、当時パッとこの紙面を見たとき、むしろこの写真の「男性」は隣の記事の「暴力やめたい男性」と思い込んだほどです。
◎この隣の記事の、男性DV加害者向けのプログラムというのも、今でこそ必要性・重要性の認識が高まり、それなりに取り組みの機運は高まっていますが、2000年当時としては、かなり先進的な試みだったのではないでしょうか??
一方、この紙面にはもうひとつ興味深い注目点があります。
それは右側の投稿コラム。
大阪の堺市に住む主婦が、毎晩2人の娘におこなっている物語の語り聞かせで、桃太郎や金太郎などのいわゆる昔話は男の子が主人公なものばかりなことにギモンがよぎり、ある日ふと思い立って、桃から生まれたのが女の子なバージョンの桃太郎を語り聞かせたところ、娘たちからは好評を得たというもの。
題して「桃子ちゃんの鬼退治」。
これは、しごくもっともなことで、物語の主人公として主体的に大活躍するのが男の子ばかりではいちじるしくジェンダーバランスを欠くというのは、いわば「メディアとジェンダー」問題の基本です。
これらが、女の子は助けられ守られる受動的な存在でしかない物語と対を成すことで、子どもたちへのジェンダー意識の刷り込みにもなってしまう問題は、改善が図られるべき重大な課題と言ってよいでしょう。
むろん、西暦2000年といえば、アニメならすでに『セーラームーン』後の世界。
ちょうど『おジャ魔女どれみ』シリーズでは、女の子たちが力を合わせて主体的に課題を解決する物語も展開されてた時期ではあります。
しかし、そういった新しく制作された物語ならともかく、いわゆる古典的な昔話などについては如何ともし難いのは、なかなか悩ましいところです。
→[参考]:「漂流する名作 ~ Wrong Love Letter」
http://homepage3.nifty.com/tomorine3908/emedia.contents/015.WLL.htm
その意味でも、このように語り聞かせを担当する人が、ちょっといちびり精神を発露させて、「桃太郎」を「桃子ちゃん」に改変したバージョンをつくってみるようなことは、非常に意味がありますし、聞く側の子どもがその内容を正当なものとして受容しうる環境づくりもまた望まれるところではないでしょうか。
もはや10年以上も前のことにはなってしまっていますが、こうした堺市の主婦の方の取り組みは大いに評価されるべきです。
さて、そんなことも考えながら、2014年6月のある日、私が7月始まりの来期アニメに何を見るかを検討していると、『モモキュンソード』なるタイトルの作品に行き当たりました。
→『モモキュンソード』公式サイト
http://momokyun.com/
……………
……………っ!
_人人人人人人人人人人人人人_
> 桃から生まれた桃子ちゃん! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
(*゚∀゚)
な、
な、……なんとっ!!
堺市の主婦が朝日新聞に投稿してから14年。
まさか2014年になると「桃子ちゃんの鬼退治」が、本当に公式にアニメになって放映されるようになるとは!
………「私たちは今21世紀に生きている」という言葉の意味があらためてわかった気がしましたw
むろん、このアニメ『モモキュンソード』、桃子ちゃんらのキャラクターデザインにおいて、過剰な巨乳描写がある点などが、いわゆるプチ「ビビッドレッドオペレーションのお尻問題」であり、評価に留保が必要な部分もないではありません。
実際にオンエアが始まったのを視聴してみても、「巨乳描写」を含めて無駄にエロい演出が過剰なのは否めないです。
その種の性的な描写は作劇上の必要・必然や、作品の全体像をふまえた上で慎重な匙加減が望まれるところですが、第2話などを見る限りでは安易な「男目線」に陥っているとの誹りも免れないでしょう。
そういうニーズの存在自体が頭ごなしに否定されることも好ましくありませんが、しかしもっぱらそのニーズに応えるだけでは、このアニメはもったいない。
せっかくの「桃子ちゃんの鬼退治」譚のアニメ化です。
そういった「エロい演出」にひいてしまうような層の中にこそ、この作品を観てもらいたい人たちがいると言うこともできるはずです。
そのあたりを勘案した、バランスの取れた演出を期待したいところです。
そして、この『モモキュンソード』におけるプチ「ビビッドレッドオペレーションのお尻問題」を一旦 置くならば、西暦2000年時点では堺市の主婦の方がプライベートで細々と娘へ語り聞かせをするに過ぎなかった「桃子ちゃんの鬼退治」譚が、深夜とはいえ大々的にアニメにまでなる、この2014年の状況、これはフェミニズム的にも評価していいのは間違いないでしょう。
(第1話放送画面より)
特製の神剣を駆使して平和な村を襲ってきた鬼に立ち向かう
(第1話放送画面より)
プリキュア的「変身」もあり。見事に鬼を懲らしめます
(第1話放送画面より)
犬・猿・雉の三神獣をお供に、いざ鬼退治の旅へ出発!
『モモキュンソード』では、桃子らの敵対勢力として設定されている「鬼族」が、一方的に「鬼退治」されるべき存在ではなく、何か事情がある要素もほのめかされていますし、「鬼族」の王の娘である「鬼姫」と桃子の一見すると敵対する関係のうちに「友情フラグ」も順調に進行しています。
そのあたりは今どきのバトルヒロインものの王道要素を外していない、というかプリキュアシリーズの定石を上手に取り入れていると言えます。
原典(←そもそもの昔話の『桃太郎』のこと。※アニメ『モモキュンソード』の直接の「原作」はweb小説)のように、いきなり鬼ヶ島に攻め込んで鬼退治をしたりしないあたりに、女の子を「桃太郎」に据えた意味が現れてると言い換えてもよいでしょう。
評価に留保が必要な部分もあるにせよ、女の子が主人公として主体的に活躍し、女の子であることの意味さえ良い意味に積極的に肯定しながら、鬼退治のような課題もフツーにクリアしていく物語が、今日ではあたりまえになったというのは、やはり良い時代になったと言ってよいと思います。
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◎オタク的視点で評価しても、『モモキュンソード』は2014年ならではのバトルヒロインものの新たな進化形としてなかなか良い形に捻られてます。
第1話の展開はバトルヒロインものの王道展開をベースにしつつも、昔話モチーフなために桃子が「中学2年生」などではなく学園モノ要素はないところとかは新鮮でした。
第2話以降の日本各地を旅するロードムービー的な要素もこのジャンルでは新しい気がします。
「桃子ちゃんの鬼退治」譚としてジェンダー問題的にも有意義であり、2014年の新作アニメとして相応しい形にバトルヒロインものとしての適切な進化を果たしている『モモキュンソード』は、まさに【 21世紀の桃太郎 】のひとつの理想形なのかもしれません。
ちなみに「21世紀の桃太郎」というと、ワタシの小説『1999年の子どもたち』第3巻の文化祭編で、作中(ワタシの娘がモデルの登場人物である、その名も)佐倉満咲チャンがホームルームで担当になってしまって考えた末に書き上げる劇の台本が、じつは『21世紀の桃太郎――美少女フルーツ戦士プリティピーチ』だったりするのです;
「プリティピーチ!」
「プリティアップル!」
「プリティメロン!」
「プリティオレンジ!」
「プリティグレープ!」
「罪もない人々を苦しめる鬼帝国! 私たちフルーツ戦士が許さないっ!!」
「「「「許さなーい!!」」」」
「何をこしゃくな。行け、デイジーカッターにサーモバリックよ、奴らをひねりつぶしてしまえっ!!」
……みたいな場面もあり、当然に作中の満咲チャンは、出来上がった台本を最初に披露したホームルームで
「えーコレなんてプリキュアシリーズのパロディで草不可避」
「こんな桃太郎ありえなさすぎてマジ ウケる~」
「佐倉さんひくわー」
などの反応も受けつつ(セリフは実際のものと多少異なりますw)、全体としては好評を得て、クラスの一致団結に至る文化祭への取り組みがおこなわれていくという、ある意味『1999年の子どもたち』全7巻中でもっとも平穏な「日常系」展開(!?)の文化祭編・第3巻。
この『1999年の子どもたち』作中お話の舞台は西暦2015年で、つまり来年なのですが、いやワタシも最初に執筆してた10年ほど前には、まさかその前年に本当に「21世紀の桃太郎」とも言える美少女戦士アニメが放映されるなんて思いもよりませんでしたワ(^o^;)
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初めて投稿させていただきます。
『モモキュンソード』という作品について、私は高い評価ができるとは思えません。どう見ても、深夜枠の「エロ萌えアニメ」以外の何物でもないからです。「桃太郎を女の子にしたこと」も含めて、全ては女性キャラクターの色っぽいシーンや嬌声を強調するための仕掛けでしょう。正直なところ、男性視聴者の助平心に奉仕する以外の意図があったようには見えません(なお、「男性は須らくエロい描写を求めている」という発想も偏見なのだが、メディアによってどんどん再生産されている)。仮に積極的な要素があったとしても、エロ萌え描写でほぼ全て打ち消されてしまっています。
女性を主人公にしているからと言って、その作品が「女性のために」「女性を尊重して」創られているとは限らない。特に急増する深夜アニメの中には「アダルトアニメまがい」のようなものも散見されるようになっています。半ば箍が外れたような深夜アニメの現状を見ると、変身ヒロインアニメにしても、好意的に解釈するより先に、批判的な視点を重視せざるを得ないと思います。
さもないと、とんでもない「落とし穴」にはまりかねません。
少し偉そうな文章になってしまい恐縮です。このサイトの様々な文章をとても楽しく興味深く読まさせていただいております。
by オーバーロード (2014-08-26 22:12)
『モモキュンソード』のアニメは現在(2014年9月初旬)も放映中なので定まった評価はいまだできないところですが、オーバーロードさまからのコメント(ありがとうございました(^^))にもあるような危惧を抱かざるをえない描写は、確かに引き続き少なくないところです。
特に本作は、全体的にユルい雰囲気でまったりと楽しめるテイストに作られていますし、シリアス回とサービス回の落差が大きいのも特徴です。そんな中では「サービス回」での「悪ノリ」も激しいと言えるでしょう。
しかし一方で、それらのみに目を奪われて、他の見え方を失ってしまう可能性にも注意を払っていく必要はあるでしょう。
その描写は本当に「男性視聴者の助平心に奉仕する」ためという解釈しかできないでしょうか?
「エロ萌えアニメ」という断定だけが真実でしょうか?
世の中には多様な人がいて、表現にはさまざまな解釈がある。
特定の評価軸のみに頼らずに、一見とるにたらない描写の中に隠されている大切なメッセージを、逃さずにすくいとるリテラシーもまた、私たちには求められているのではないでしょうか。
アニメ『モモキュンソード』でも、シリアス回はもちろんサービス回にあっても、じつはかなり深いところを突いたエピソードが展開されていたというのは言えると思います。
by tomorine3908- (2014-09-08 23:24)