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「LGBT」など性的少数者の人権、セクシュアリティの多様性、クィア論、男女共同参画などや、そうした観点に引きつけてのコミュニケーション論、メディア論、「アニメとジェンダー」など、ご要望に合わせて対応いたします。※これまでの実績などはお知らせブログにて

赤毛のアンは早すぎた日常系百合アニメ [メディア・家族・教育等とジェンダー]

NHKの朝の連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)が、2014年の今期は『花子とアン』ということで、モンゴメリの名作『赤毛のアン』を邦訳した村岡花子の生涯をもとにした物語が展開されています。

そのからみか、原典の『赤毛のアン』自体のほうもあらためて話題になる機会が少なくないようです。

『赤毛のアン』といえば、だいたい世代を問わず、この小説にハマった経験を持つ女性は多いのではないでしょうか。
思春期の愛読書として熱く『赤毛のアン』を語る女性も数多いという印象です。

されど、そういう状況がある一方において、ワタシ的には、若かりし日々には男の子であったゆえに、この作品へのアクセスが困難だったことは、今となっては若干のルサンチマンであったりしなくもありません。

そもそも『赤毛のアン』は構造的にジェンダー問題が深く組み込まれています。
なにせ、カスバート兄妹が孤児院から男の子を引き取ろうとしたところ、手違いで女の子が来てしまったというのが物語の発端ですから。

そしてソレは、この物語が何よりも「女の子のためのもの」であるというメッセージの裏返しでもあります。

そのせいでしょうか。
小学校時代の休み時間、他の男子らが好んで嗜む野球やサッカーへの同調圧力をなんとか逃れて出入りした図書室でも、SFや推理小説を好んだ私は、いわゆる女子向けの本はあまり手に取らなかったとはいえ、そんな中でもとりわけ『赤毛のアン』は背表紙から強力に【男子禁制オーラ】が出ているように感じて近寄り難かった記憶が鮮明です。

拙著『女が少年だったころでも、小学校時代の図書館通いについては1項目設けて述べていますが、それでも今読み直すと『赤毛のアン』については一切言及がありません。
執筆時点の10年余り前に至ってさえ、『赤毛のアン』について書くべくことには全く思い及ばなかった、それくらい断絶が深かったということなようです。

ただ、そんな私でも、唯一『赤毛のアン』の世界に触れることができる機会だったのが、1979年放送のアニメ版でした。

日曜19時半のフジ系列で、『アルプスの少女ハイジ』や『フランダースの犬』をやっていたのと同じ世界名作劇場枠。
日本アニメーション制作。
アニメ作品として、そのクォリティは非常に高かったと言ってよいでしょう。

とはいえ、このアニメ版にあっても、そのつくりは原作に準拠して「女の子のためのもの」。

内容はというと、グリーンゲイブルズにおけるアンや「心の友」ダイアナたちの他愛のない毎日の出来事をめぐるストーリー。

さしたる派手な事件が起こるでもなく、(当時)中二病真っ只中の男子(であった私)にとっては、地味感が否めないものであると言わざるを得ませんでした。

そして、そんな男子が唯一 感情移入の取っ掛かりにできそうだったアンのギルバートとの恋愛関係もまた、遅々として進展せず、当時のワタシはそのあたり苛立たしく思いながら、「ケッ、世界名作劇場枠は、しょせんお子様向けアニメだな……」などという見解を述べたりしていたのでした。


…………。

………………。

待て。

いゃ待て!

ちょっと待て!!

1:男性との恋愛要素はアリバイ的に登場だけはしたりするけれど、物語の本筋からは後景化されている

2:メインは、ひたすら女の子どうしの他愛のない毎日が描かれる


……ソレって、

今の言葉で言えば

【日常系百合アニメ】!?


……たしかに『赤毛のアン』の本質が、今に言う「日常系百合アニメ」なのだとしたら、いろいろ腑に落ちる点が少なくなさそうな気はします。

ぃや、まさかそんなことが???


というわけで過日、動画配信サービス[Gyao]で、話数限定無料配信されてたので、1979年アニメ版『赤毛のアン』、そのアンがダイアナと出会う第9話をチェックしてみました。

→ 赤毛のアン 話数限定 第9話/無料動画 GyaO!
http://gyao.yahoo.co.jp/player/00189/v09779/v1000000000000002290/

(以下、画像は配信画面から学術研究用資料としてキャプチャしたもの)


 Anne&Lily01_L.JPG

いきなりの「結婚式しよう」展開(違;←ぃや、あながち間違ってない
アン攻め攻めだー(^^)


 Anne&Lily04_L.JPG

見事むすばれた二人(^^ゞ


 Anne&Lily05_L.JPG

謎ブランコで さらに距離詰まる
(*^_^*)


 Anne&Lily06_L.JPG

百合アニメ鉄板の手つなぎカット!!
ヽ(^。^)ノ


 Anne&Lily07_L.JPG

ベッドサイドトークっ!!!
(*^_^*)


 Anne&Lily08_L.JPG

ナイショ話で親密度↑UP↑さらに


 Anne&Lily09_L.JPG

ご注文はグリーンゲイブルズですか?
ヽ(^o^)丿


………な、な、

なんとまぁ!


思った以上に百合ん百合んでしたね。
1979年アニメ版『赤毛のアン』。

もぅ今見るとアンとダイアナの関係性に萌え萌えを禁じ得ないです。

いったいコレのスバラシさになんで気付かなかったんだ1979年のワタシ!

ギルバートなんざぁ、どーでもいいではありませんか。
なんて的外れな期待をしていたことでしょう!

いやはや、そういった観点を持ち得なかった当時のことが、誠に遺憾の一言に尽きます。


……てゆーか、さっき紹介したこのカット、手前に配置されてる花がズバリ「百合に見えるんですけど!?

 Anne&Lily01_L.JPG

(*゚∀゚)

……まさか意図的に分かってやってる!?
もし1979年に本当にソレをしてたんならものすごくスゴイことです。

ちなみにエンドクレジットによると、この回は絵コンテ「とみの喜幸」、すなわち現・富野由悠季氏です
(もうすぐガンダムが始まるタイミングなのに、こっち手伝ってて大丈夫だったのでしょうか?)

そして場面設定・画面構成「宮崎駿」、演出「高畑勲」。

………なんか巨匠が揃い踏み(゚∀゚;)

ただ一説によると(Wikipediaの赤毛のアン1979年アニメの項など)、宮崎、高畑 両巨匠とも、当時『赤毛のアン』の真髄は理解できずにいたらしく、宮崎駿はこの直後とっとと逃亡、残された高畑勲も粛々と「原作に忠実なアニメ化」に徹したとも言われています。
そのあたり、やはり「男」の限界なのでしょうか。

……だとすると、この画面への百合の花 配置の張本人はいったい!?

富野由悠季氏の可能性もビミョ~ですし、原作で指定されてるわけでもないようですし……。


ともあれ、かような次第なので、いわば「『赤毛のアン』は早すぎた【日常系百合アニメ】!」だったと捉えても差し支えはなさそうです。

ここはひとつ、『赤毛のアン』を、もっとコレは「日常系百合アニメ」であると踏み込んで解釈したリメイクが期待されますね(^^)。

さしあたりは、この1979年版アニメの映像を脳内デジタルリマスターし、しこうして、今どきの百合アニメでも活躍する声優さんで脳内吹き替えしてみるとよいかも。

……やっぱり
   アン:佐倉綾音
 ダイアナ:村川梨衣

…………あたりが鉄壁の布陣でしょうかねぇ(^^)
(個人の願望です;)


思えば、あの『きんいろモザイク』のアニメ第1話が、何やらまるで世界名作劇場シリーズの一作のようだったのも、そもそも『きんいろモザイク』のような「日常系百合アニメ」が、『赤毛のアン』から連なる系譜上にあると考えれば、必然的な一致として得心が行くというものです。

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(※『きんいろモザイク』放送画面より)


また『ご注文はうさぎですか』なら、複層的な関係性の中で揺れる少女たちの瑞々しい心情を、他愛のない毎日の中での物語のうちにメリハリのある展開で描き出しており、アニメ各話とも美しい画面とあいまって、まさに珠玉の名作となっています。

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(※『ご注文はうさぎですか』放送画面より)


こうした「日常系百合アニメ」は、『赤毛のアン』が実際にそうであり続けてきたように、必ずや多くの女性をエンパワーしていく可能性を持ったものなのではないでしょうか。

あの小学生男子だったときのワタシが感じた、『赤毛のアン』の背表紙から発せられている強力な「男子禁制オーラ」、じつはあれこそがまさに【女性ホモソーシャル】と呼べるものの核心とつながっているのかもしれません。

それはたしかに一種の排他性という負の側面とも表裏一体ではありますが、しかし「女性ホモソーシャル」が、いわゆる「(男性)ホモソーシャル特権領域」へのカウンターとして、特権領域である中心部分から周縁化され排除された者どうしの連帯のために機能する可能性は、閉塞感にいきづまる社会に、多様性の相互理解に基づく共生をもたらすための希望ともなります。

昨今の「日常系百合アニメ」の、ジャンルとしての興隆には、大いに期待して良いと思われます。


そして逆にまた、昔であれば男の子は図書館で借りるのに敷居が高かった『赤毛のアン』と、その真髄を共通するコンテンツが、今では男性でも難なく苦もなくアニメとして観ることに特段の障壁がない状態にあるという事実もまた、イイ時代になったと言うことができましょう。

実際「日常系百合アニメ」の視聴者層として目立つのは、むしろ男性だったりするのも事実でしょう。
その中には、たしかに単純に「萌えニーズ」を追求するエロ目線のみの視聴者も、ある意味「招かれざる客」として相当数含まれるのは不可避です。

それゆえに「男性向け」の「萌えニーズ」に応えた描写なども多々含まれるところとなり、その結果として女性視聴者を遠ざけてしまっている現実もあるやもしれません。
いわゆる「ビビッドレッドオペレーションのお尻問題」ですね。

そのあたり、制作にあたっての匙加減は本当に難しいのですが、女性視聴者側も、ある程度は、表面的な「男性向け」描写に惑わされずに「日常系百合アニメ」の本質を見抜くリテラシーを持ちたいところではあります。

間違っても、この種の作品群を、単なる不健全なエロアニメとしか見誤れず、『ご注文はうさぎですか?』や『きんいろモザイク』等々の作品の中核にある、少女たちの親密圏の麗しくも愛おしい世界で敬愛と思いやりのやりとりが描かれていることに、気付くことができないのはもったいないです。

そうして、その点においても、こうした「日常系百合アニメ」へ連なる系譜として、遡っていったところには『赤毛のアン』が位置するというのは心強いことに他ならないでしょう。

あと、上述の、小学生男子だったときのワタシが『赤毛のアン』に「男子禁制感」を感じて近寄り難かった件を思い返すと、例えば今日の「日常系百合アニメ」にアクセスしたい男子にとっては、表面的にはプッシュされてる諸々の少々エッチな描写の存在が、「コレは男の子が見ても構わないもの」という言い訳として機能してる……という視点も重要ではないでしょうか?

話題のディズニーアニメ『アナと雪の女王』がせっかく女性の視点に寄り添った物語をしているのに、そのメジャーレーベルゆえに多くの人の目に触れ、結果ちょっと勘違いした批判(「これは男性への逆差別だ」的な)にさらされているのも、もしもそういう批判をする人が日本製アニメの数々をよく見たら、同様に言うに違いないとしたら、そういう場合にでも、批判を回避する装置として、表面的には「シスヘテ男性向けエロ描写」によってカモフラージュされていることは、結果的には「招かれざる客」を呼びこむという側面もデメリットとしてあるにしても、重要な機能を果たしていると評価できます。

俗悪なものとして、低い位置に評価され、検閲され、抹消されようとするコンテンツというのは、えてして時の権力者にとって都合が悪いものだからだったりします。
むしろ、時の権力者にとって都合が悪いものを検閲・抹消したいがゆえに、特定の要素を俗悪なものとして低く位置する言説が喧伝されるという見方もとても重要です。


   


◎一方、私の小学校時代の図書館でも、『赤毛のアン』の背表紙からは強力な「男子禁制オーラ」を受け取っていた反面、例えば『オズの魔法使い』(←いわば女の子主人公が主体的にイニシアティブを執って活躍する冒険譚の草分け!)はフツーに借りてフツーに読んでフツーにオモシロかったので、いったい『赤毛のアン』の何がどのように「女性ホモソーシャル」的なのかは、一度しっかり検証され、そのあたりしっかり詳らかにする意義はありそうです。
………しかし、こうして見ると子ども時代の昔のワタシ、「じつは女性的な本質を持っているにもかかわらず、あからさまに女性向けとはされていないもの」や「建前上男性向けとされていても、そこに内包されるけっこう女性的なもの」を知らず知らず好んでいたのかもしれません。
そうすることで、精神のバランスが図られていたのでしょうね。
いちおうは男の子向けロボットアニメであった『UFOロボ グレンダイザー』でも、(番組中盤以降に登場した、主人公が操縦する主役ロボ・グレンダイザーをパワーアップさせるために合体する、3機の支援メカに各々搭乗する)サポートチーム3人中2人の女性メンバーの活躍に期待を募らせていたりしたのも、象徴的なパターンのひとつかも。
結局、子どものころの、女の子でありたかったのに男の子という立ち位置を割り振られてしまっていたワタシの心情と、男女二分的で異性愛主義的な社会規範の関係性は、何重にも捻れてしまっていたわけなのですね。
……まぁ、その体験が今の活動に生かせるのは悪いことではないのでしょうが(^^ゞ


◎で、元々ここらで一度「百合アニメ論」を少ししっかりまとめたいと思っていたのですが、この「『赤毛のアン』は早すぎた【日常系百合アニメ】!」の件を、中盤あたりに上手く組み込めれば、ひとつ論としてキレイにまとまりそうな気がしてきました。
学会で報告するとしたら、やっぱ報告タイトルは【女同士の絆 百合マンガ・アニメと女性ホモソーシャルな欲望】ですかね~(^o^;)
(……絶対にE.K.セジウィック方面から怒られる;)

とはいえ「赤毛のアン論」なら、いろいろ参考文献もありそうですね。

コレは押さえといたほうがよさげなのだが「現在お取り扱いできません」攻撃が(T_T)
→ 「赤毛のアン」の挑戦 横川寿美子
     

コレもちょっと気になる
→ 「赤毛のアン」の秘密 (岩波現代文庫) 小倉千加子
     

あと、とりあえずコレは必須
→ アンのゆりかご~村岡花子の生涯 (新潮文庫) 村岡恵理
     

ただ、「参考に【できる】文献が多い」ってのは、「押さえておか【なければならない】先行研究がいっぱい」ということでもあるので……(=o=;)

ともあれ、何はさておいても、そもそもの原典原作者であるモンゴメリが偉大だったということになるでしょうね。
で、そっち方向に「英語文学」の領域に分け入りそうだということは、やっぱ学会報告タイトル、セジウィックのオマージュにするのは必然なのかもw


   


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コメント 2

コメントの受付は締め切りました
きたさかみさと

赤毛のアンは個人的には早すぎた日条系百合ではなく、
赤毛のアンを見て育った世代が、
日常系百合アニメを量産している時期なのではないかと考えます。
ただ、当時と違って制作側にも女性が参加するようになり、より女性にも受け入れられやすい作品が増えていくのが、今の特色ではないかと。

by きたさかみさと (2014-10-08 15:48) 

tomorine3908-

きたさかみさとさんからのコメント(ありがとうございましたノ)、非常に同意するところであります。
ちなみに記事タイトルはどうしてもある程度キャッチーなものにしないといけないため多少は「盛った」ものになりがちなのプラス、これは以前に書いた「『聖戦士ダンバイン』は早すぎた異世界ファンタジー!?」(2010-04-10)をふまえた形でもありますのでご了承ください。
by tomorine3908- (2014-10-09 23:07) 

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